行次西郊作 一百韻 李商隠  #8

これまで掲載している「甘露の変」を題材にしている李商隠の詩。

李商隠 4 曲江

劉司戸二首 其一 李商隠 39

北斉二首 其二 李商隠  45

有感二首 其一 李商隠 101

有感二首 其二 李商隠 102

重有感 李商隠 -103

鸞鳳 李商隠  -111

漫成五章 其四 李商隠 -107

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠 -131


行次西郊作一百韻

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 149 #1、#2

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 150 #3

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 151 #4

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 151 #5

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 153 #6

行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 154 #7



中原遂多故,除授非至尊。
或出幸臣輩,或由帝戚恩。
中原困屠解,奴隸厭肥豚。』#6
皇子棄不乳,椒房抱羌渾。
重賜竭中國,強兵臨北邊。
控弦二十萬,長臂皆如猿。
皇都三千里,來往同雕鳶。」#-7
五里一換馬,十里一開筵。
あまりの肥満で馬を取り替える安禄山のために、五里ごとに換馬台が築かれた、十里ごとに、彼等が休憩する時には、街道の長官たちに接見し鐙をのべて、山海の珍味をつらねて饗応したのだった。
指顧動白日,暖熱回蒼旻。
その勢力の盛んになりとめどがなくなっていた、彼が指さしつつ首をめぐらせば、西に沈む太腸も逆行させた、彼の熱気は自然の運行を逆転させ、秋の空を春にかえすといわれたものである。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』#-8

朝廷の大臣や公卿は、安禄山の嘲笑と叱責にはずかしめられたのだ、それは糞団子のように唾棄されるがままになっていたのだ。
#9
大朝會萬方,天子正臨軒。
采旂轉初旭,玉座當祥煙。
金障既特設,珠簾亦高褰。」#-9
#10
捋須蹇不顧,坐在禦榻前。
忤者死艱屨,附之升頂顛。
華侈矜遞衒,豪俊相並吞。
因失生惠養,漸見征求頻。』#-10


#5
例(ためし)として賢なる牧伯(はくばく)を以てし、徴(め)し入れては陶鈞(とうきん)を司(つかさ)どらしむ。
降(くだ)りて開元中に及ぶや、姦邪(かんじゃ) 経綸(けいりん)を撓(ゆが)めたり。
晋公 此の事を忌(い)み、多く辺将の勲を録す。
因(よ)りて猛毅(もうき)の輩(やから)を令(し)て、升平(しょうへい)の民を雑牧(ざつぼく)せしむ。』
#6
中原 遂に故(こと)多く、除授(じょじゅ)するは至尊に非ず。
或いは倖臣(こうしん)の輩(はい)より出で’、或いは帝戚(ていせき)の恩に由る。
中原 屠解(とかい)に困(くる)しみ、奴隷 肥豚(ひとん)に厭(あ)く』
#7
皇子は棄(す)てられて乳(そだ)てられずして、楸房に禿渾を抱く
重き賜(たまもの) 中国を竭くし、強兵 北辺に臨む
控弦(こうげん) 二十万、長臂(ちょうひ) 皆 猿の如し。
皇都(こうと) 三千里、来往すること雕鳶(ちょうえん)に同(ひと)し。
#8
五里(ごり)に一たび馬を換え、十里に一たび筵(むしろ)を開く。
指さし顧みれば白日をも動かし、煖熱(だんねつ) 蒼旻(そうびん)を回らす。
公卿(こうけい) 嘲叱(ちょうしつ)に辱(はずかし)められ、唾棄(だき)せらるること糞丸(ふんがん)の如し。


#-9
大朝(だいちょう) 万方(ばんぽう)を会し、天子 正に軒に臨(のぞ)む。
采旂(さいき) 初旭(しょぎょく)に転じ、玉座 祥烟(しょうえん)に当たる。
金障 既に特に設けられ、珠簾(しゅれん) 亦高く褰(かか)げらる
#10
須(ひげ)を捋(な)でて蹇(けん)として顧(かえり)みずして、坐して禦榻(ぎょとう)の前に在り。
忤(さから)う者は艱屨(かんく)に死し、之に附(おもねれ)れば 頂顛(ちょうてん)に升(のぼ)る。
華侈(かし)  矜(ほこ)りて遞(たが)いに衒(てら)い、豪俊 (ごうしゅん) 相い 併呑(へいどん)す。
因りて生恵(せいけい)の養を失し、漸(ようや)く微求(ちょうきゅう)の頻(しき)りなるを見わす。
miyajima 683


#8 現代語訳と訳註
(本文) #-8

五里一換馬,十里一開筵。
指顧動白日,暖熱回蒼旻。
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。』

(下し文) #8
五里(ごり)に一たび馬を換え、十里に一たび筵(むしろ)を開く。
指さし顧みれば白日をも動かし、煖熱(だんねつ) 蒼旻(そうびん)を回らす。
公卿(こうけい) 嘲叱(ちょうしつ)に辱(はずかし)められ、唾棄(だき)せらるること糞丸(ふんがん)の如し。

(現代語訳)
あまりの肥満で馬を取り替える安禄山のために、五里ごとに換馬台が築かれた、十里ごとに、彼等が休憩する時には、街道の長官たちに接見し鐙をのべて、山海の珍味をつらねて饗応したのだった。
その勢力の盛んになりとめどがなくなっていた、彼が指さしつつ首をめぐらせば、西に沈む太腸も逆行させた、彼の熱気は自然の運行を逆転させ、秋の空を春にかえすといわれたものである。
朝廷の大臣や公卿は、安禄山の嘲笑と叱責にはずかしめられたのだ、それは糞団子のように唾棄されるがままになっていたのだ。


(訳注)
五里一換馬,十里一開筵。

あまりの肥満で馬を取り替える安禄山のために、五里ごとに換馬台が築かれた、十里ごとに、彼等が休憩する時には、街道の長官たちに接見し鐙をのべて、山海の珍味をつらねて饗応したのだった。
五里一換馬 安縁山の事蹟。彼は肥満型の人物で、かつて、玄宗皇帝に「此の腹の中に何が有るのか。」と言われたりしたが、晩年益。肥大し、朝廷へ参勤する時、五里3km弱ごとに馬を換えなければ馬が死んでしまうので、駅間に特別に大夫換馬台という馬換えの建物を築いてもらったという。○開筵 筵は敷物。安縁山が参勤の途中、とどまる処ごとに御膳珍味を賜られたことをいう。唐の姚汝能の「安禄山事蹟」による。

指顧動白日,暖熱回蒼旻。
その勢力の盛んになりとめどがなくなっていた、彼が指さしつつ首をめぐらせば、西に沈む太腸も逆行させた、彼の熱気は自然の運行を逆転させ、秋の空を春にかえすといわれたものである。
蒼旻 大空。春の空を蒼天と云い、秋を曼天という。
 
公卿辱嘲叱,唾棄如糞丸。
朝廷の大臣や公卿は、安禄山の嘲笑と叱責にはずかしめられたのだ、それは糞団子のように唾棄されるがままになっていたのだ。
糞丸 晋の崔豹の「古今注」に、奸鮮という虫は、土で糞を包み、転がして丸にする、とある。人を馬鹿にしたつまらぬものの喩えである。


 
これまで
時代は下り玄宗の開元・天宝年間に至り、邪な臣下が現れ国政め方針を歪め始めた。その元凶ともいうべき者が、晋公こと宰相李林甫であった。李林甫は優秀な地方官を中央に召還するという太宗以来の慣例を忌み嫌い、異民族出身の将軍達を節度使に任じ地方の統治に当たらせた。この時登用された将軍の中には、後に安史の乱を引き起こす安禄山もまた含まれていたのである。しかし政治の乱れはこれに止まらない。官職の任免ももはや天子の意向に拠るものではなく、媚びへつらう者や楊貴妃を出だした楊氏一族のような姻戚のような連中の思うがままとなってしまった。
かくして中原の民は悪政により身を裂かれるような苦しみを味わい、逆に奴隷と卑しむべき奸邪の臣どもは日々贅沢な食事に食べ飽きる有様だった。

ここまでは李林甫の悪政や楊氏一族の台頭といった事柄を述べてきたものであるが、これに続く挙例部分第コュ~四十句目では、実に二十八句を費やし安禄山の権勢ぶりに焦点を絞り叙述を連ねていく。そこでは次のようにいう。宮中では皇子すらまともに育てられていないというのに、安禄山は楊貴妃の養子になりたいなどといい、楊貴妃もまた、兪禄山を幔縦で包んで戯れる。天子の寵を受け、北辺の地芭陽に節度使として赴いた

この場面#7 #8
安禄山は二十万の精鋭を蓄え、都長安との行き来の際には五里ごとに馬を乗り換え、十里ごとに宴会を開くという有様。その権勢たるや彼が指差し顧みれば天に輝く太陽ですら動かす事ができ、その身の発する熱気で春の空(蒼天)から秋の空(受天)へという季節の順行を狂わせてしまうほどの巨大なものであった。
#9 #10
天子が四方よりの使節に謁見する大朝の儀式、金の屏風が特別に設けられ、真珠を連ねた簾が高々と巻き上げられると、そこに座していたのは他ならぬ安禄山。顎鬚を撫でつつ傲慢に振舞う彼の席は天子の席の前に設けられていた。安禄山に逆らう者は誰であろうと彼の足元で殺され、逆に彼に従う者は栄華が約束される。我が世の春を楽しむ者は互いに豪奢を競い合い、安禄山は節度使を兼任しその権力を強めていったのである。かくして人民を慈しむ政治の本道は失われ、次第に賦税の徴発が盛んに行われるようになっていった。




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