行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 159 #12


行次西郊作一百韻 #12

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行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 158 #11


奚寇西北來,揮霍如天翻。
是時正忘戰,重兵多在邊。
列城繞長河,平明插旗幡。
但聞虜騎入,不見漢兵屯。
大婦抱兒哭,小婦攀車轓。」#-11
生小太平年,不識夜閉門。
思い起こせばその昔、天下太平であった、この鳳翔の住民は夜、戸締りをしなければいけないということ意識することはなかったのだ。
少壯盡點行,疲老守空村。
だが今は、青壮年の者たちはことごとく徴兵され、ただ疲れはてた老人が、空虚になった村を守っているだけなのだ。
生分作死誓,揮淚連秋雲。
村に残ったものができることは、散り散りばらばらに別れて暮らしても、死ぬ時だけは一緒に死のうと誓い合うことだけなのだ。流れ落ちる涙を振り払ったら、ちょうどその時、秋の空に浮ぶ雲だけがずっと連なっているのだった。
廷臣例獐怯,諸將如羸奔。
叛乱軍に対して、朝廷の下臣、官僚らは、臆病な小鹿のように怯えばかりであった、都と王朝朝廷を守るべき北司と南司の近衛師団は、やせ羊が野原に散らばるように逃げ去ったのである。
爲贼掃上陽,捉人送潼關。』
#-12
残った軍隊や官吏らは、叛乱軍のために洛陽の宮殿を掃き清めてあけわたし、叛乱軍の侵人をたすけた。次に長安城に入った叛乱兵は、略奪、強奪し、官民、老若、男女を問わず人を捉えてはたきかん潼関の方へと送り込んだのである。
玉輦望南鬥,未知何日鏇。
誠知開辟久,遘此雲雷屯。
送者問鼎大,存者要高官。
搶攘互間諜,孰辨梟與鸞。
千馬無返轡,萬車無還轅。」#-13
#11
奚寇(けいこう) 西北より来り、揮霍(きかく) 天の翻えるが如し。
是の時 正に戦いを忘れ、重兵(ちょうへい) 多く辺に在り。
列城(れつじょう) 長河を繞(めぐ)らすに、平朋 旗幡(きはん)を插(さしはさ)む。
但だ虜騎(りょき)の入るを聞き、漢兵の屯するを見ず。
大婦は児を抱きて哭き、小婦は車轓(しゃはん)に攀(すが)る。

12
生小 太平の年、夜にも門を閉ざすを識らず。
少壮のものは尽く点行せられ、疲老のみ空しき村を守る。
生き分れて死誓(しせい)を作し、涙を揮(ふる)いて秋雲に連なる。
廷臣は(くじか)の例(ごと)く怯(おび)え、諸軍は羸(えい)の如く奔(はし)る。


#13
賊の為に上陽を掃い、人を捉(とら)えて潼関に送る。
玉輦(ぎょくれん)は南斗を望み、未だ知らず 何の日に旋(かえ)らんかを
誠に知りぬ 開辟(かいびゃく)より久しくして、此の雲雷の屯に遘(あ)うことを。
送(したが)う者は鼎(かなえ)の大いさを問い、存(のこ)る者も高官を要(もと)むるのみ。
搶攘(そうじょう)しつつ互に間諜(かんちょう)し、孰(たれ)か梟(きょう)と鸞(らん)とを辨(わか) たん。



 現代語訳と訳註
(本文) #-12

生小太平年,不識夜閉門。
少壯盡點行,疲老守空村。
生分作死誓,揮淚連秋雲。
廷臣例獐怯,諸將如羸奔。
爲賊掃上陽,捉人送潼關。』


(下し文)
生小 太平の年、夜にも門を閉ざすを識らず。
少壮のものは尽く点行せられ、疲老のみ空しき村を守る。
生き分れて死誓(しせい)を作し、涙を揮(ふる)いて秋雲に連なる。
廷臣は獐(くじか)の例(ごと)く怯(おび)え、諸軍は羸(えい)の如く奔(はし)る。


(現代語訳)
思い起こせばその昔、天下太平であった、この鳳翔の住民は夜、戸締りをしなければいけないということ意識することはなかったのだ。
だが今は、青壮年の者たちはことごとく徴兵され、ただ疲れはてた老人が、空虚になった村を守っているだけなのだ。
村に残ったものができることは、散り散りばらばらに別れて暮らしても、死ぬ時だけは一緒に死のうと誓い合うことだけなのだ。流れ落ちる涙を振り払ったら、ちょうどその時、秋の空に浮ぶ雲だけがずっと連なっているのだった。
叛乱軍に対して、朝廷の下臣、官僚らは、臆病な小鹿のように怯えばかりであった、都と王朝朝廷を守るべき北司と南司の近衛師団は、やせ羊が野原に散らばるように逃げ去ったのである。
残った軍隊や官吏らは、叛乱軍のために洛陽の宮殿を掃き清めてあけわたし、叛乱軍の侵人をたすけた。次に長安城に入った叛乱兵は、略奪、強奪し、官民、老若、男女を問わず人を捉えてはたきかん潼関の方へと送り込んだのである。


(訳注)
生小太平年,不識夜閉門。
思い起こせばその昔、天下太平であった、この鳳翔の住民は夜、戸締りをしなければいけないということ意識することはなかったのだ。
生小 年少のころをいう。生まれてきてまだ小さかったころ。思い起こせばその昔、というような意味。○不識夜閉門 李白 秋浦歌十七首 其十一」-255 などにも出てくる。また李商隠 行次西郊作 一百韻 李商隠特集150- 150 #3など参照。


少壯盡點行,疲老守空村。
だが今は、青壮年の者たちはことごとく徴兵され、ただ疲れはてた老人が、空虚になった村を守っているだけなのだ。
点行 点は点検、行は行軍、兵役に徴兵されたことをいう。杜甫兵車行 杜甫37の詩に「道旁過者問行人,行人但云點行頻。」(道端の通りすがりの者が問い尋ねる。出征兵士がただということには、徴兵が頻(しき)りである。・道勇 退者 みちをとおりすぎるもの。・点行 点とは人名の頭に筆を以て点をつける、すなわち点つけをしてしらべること、行とは兵行。兵役に赴かしめることについて点検すること。


生分作死誓,揮淚連秋雲。
村に残ったものができることは、散り散りばらばらに別れて暮らしても、死ぬ時だけは一緒に死のうと誓い合うことだけなのだ。流れ落ちる涙を振り払ったら、ちょうどその時、秋の空に浮ぶ雲だけがずっと連なっているのだった。
○生分 生きているときは別れて暮らすこと。○死誓死ぬときは一緒に死のうと誓いあうこと。○連秋雲 男、夫を出征させていて、離れ離れだが秋雲ほうき雲はこちらからもこうまでつながっている。


廷臣例獐怯,諸將如羸奔。
叛乱軍に対して、朝廷の下臣、官僚らは、臆病な小鹿のように怯えばかりであった、都と王朝朝廷を守るべき北司と南司の近衛師団は、やせ羊が野原に散らばるように逃げ去ったのである。
○例獐怯 ・:ノロジカ麕鹿。臆病な動物の喩に使われる。例は比較の意昧で「ごとし」と訓じる。○羸奔 やせ羊のようについ逃げること。・:つかれる. 力がなくなってぐったりする。力が萎えて衰える。弱る。


爲賊掃上陽,捉人送潼關。』#-12
残った軍隊や官吏らは、叛乱軍のために洛陽の宮殿を掃き清めてあけわたし、叛乱軍の侵人をたすけた。次に長安城に入った叛乱兵は、略奪、強奪し、官民、老若、男女を問わず人を捉えてはたきかん潼関の方へと送り込んだのである。
爲賊 反乱軍のためにすることを言う。○上陽 洛陽の宮殿の名。○捉人送潼関 潼関は河南省の西端部、長安と洛陽とのほぼ中間にあたる所にある関所。長安に侵入した叛乱軍は、百官、宦者、宮女、楽エ、長幼男女を問わず、手あたり次第に捉えて洛陽に送った。宋の司馬光の「資治通鑑」天宝十四年の条に詳しく述べられている。。


#11
 この段は安史の乱の情景を描いている。都長安の東北、芭陽の地に蜂起した反乱軍の進軍の速さは天地を覆すほどの勢いであったが、朝廷は長い平和の時代に慣れてすっかり戦争を忘れており。、精兵の大多数を辺境の守備に派遺してしていた。このため黄河一帯の城塞は瞬く間に反乱軍の課蹟され、明け方には反乱軍の旗がひらめく事となった。
民衆も反乱軍の侵攻は知らされてもこれを防ぐはずの官軍の姿が見当たらない。やむなく避難を始めるものの行くあてもなく、上の嫁は子供を抱いて泣きわめき、下の若い嫁は難を逃れようと必死に車の覆い布に槌りつく。

#12
皆平和な時分に生まれ育ち、夜になっても戸締りをすることすら知らないのだ。しかし今や反乱の勃発により若者は尽く微発され、疲れきった老人のみが人気のない村を守る有様。生き別れになってしまえばもはや会う事も出来ないだろうから死に別れるのと同じ事。人々が涙を揮えばまるで秋雲より降り注ぐ雨のようであった。対策を講じるべき朝廷はどうかと言えば、大臣達はただ蜜のごとくびくびく怯えるばかり、将軍達もやせ衰えた羊のごとくどこかへ逃げ出す始末。反乱軍が洛陽に迫るや彼らは上陽宮を掃き清めて賊どもを迎え、また人を捕らえては賊軍の為にこれを滝関に送り込んだのだ。



 このように安史の乱による混乱ぶりを描く#11、#12であるが、政治の腐敗を描いた#9、#10の直後に置かれる事により、両者の因果関係が顕在化するのではないだろうか。すなわち#9、#10で述べてきたような種々の悪政の結果が第五段で描かれるような国家の一大危機なのだというような論理の展開がここでは見られる。

なお因果関係についていえば、#9、#10でそもそもの元凶である安禄山の横暴さを詳細に描いている事もまた、後に控える悲惨な結末をより効果的に印象付けよう。また同じく#9、#10にすでに「因りて猛毅の輩をして 升平の民を雑牧せしむ」「因りて生恵の養を失し漸く微求の頻りなるを見わす」のように「因」字を用い、前の内容を受けその結果を表す叙述をしている事も見逃せない。いずれにせよ、悪政の描写の後にその結果もたらされた影響の描写を置き因果関係を明確にする事は、「又聞く理と乱とは 人に繋りて天に繋らず」の主題とも合致するものであるといえよう。