行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 162 #15




行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150-
 #1、#2

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行次西郊作 一百韻 李商隠 150- 161 #14


城空鼠雀死,人去豺狼喧。
南資竭吳越,西費失河源。
因今左藏庫,摧毁惟空垣。
如人當一身,有左無右邊。
觔體半痿痺,肘腋生臊膻。』#-14
列聖蒙此恥,含懷不能宣。
それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」
#-15
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。
饋餉多過時,高估銅與鉛。
山東望河北,爨煙猶相聯。
朝廷不暇給,辛苦無半年。
行人搉行資,居者税屋椽。』#-16



#14
城は空しくして鼠雀(そじゃく)死し、人は去りて豺狼(さいろく)喧(かしま)し。
南の資は呉越に竭(つ)き、西の費は河源に失す。
因(よ)りて右の蔵庫(ぞうこ)を令(し)て、摧毁(さいき)して惟だ空垣(くうえん)のみならしむ。
人の一身に当りて、左有りて右辺無きが如し。
筋体(きんたい) 半ば痿(な)えて痺(しび)れて、肘腋(ちゅうえき)に 臊膻(そうせん)を生ず。

15

列聖(れつせい) 此の恥を蒙(こうむり)り、懐を含むも宜()ぶる能(あた)わず。

謀臣(ぼうしん)は手を拱(こまね)いて立ち、相い戒(いまし)めて敢て先んずる無し。

万国 杼軸(ちょじく)に困(くる)み、内庫(ないこ)に金銭無し。

健児(けんじ)は霜雪(そうせつ)のうちに立ち、腹は歉()かず 衣裳は単のみ。

#16
饋(たま)わる 餉(こめ)は多く時を過ぎ,估(あたい)を高うす銅と鉛。
山東より河北を望(のぞ)めば、爨煙(さんえん)は猶お 相い聯(つらな)れるに
ちようていきゆう   
朝廷は給するに暇(いとま)あらず、辛苦して半年をた唇つ無し。
行人(こうじん)は行資(こうし)を搉(かく)せられ、居者(きょしゃ)は屋椽(おくてん)に税あり



#15 現代語訳と訳註
(本文)

列聖蒙此恥,含懷不能宣。
謀臣拱手立,相戒無敢先。
萬國困杼軸,内庫無金錢。
健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」


(下し文) #15
列聖(れつせい) 此の恥を蒙(こうむり)り、懐を含むも宜(の)ぶる能(あた)わず。
謀臣(ぼうしん)は手を拱(こまね)いて立ち、相い戒(いまし)めて敢て先んずる無し。
万国 杼軸(ちょじく)に困(くる)み、内庫(ないこ)に金銭無し。
健児(けんじ)は霜雪(そうせつ)のうちに立ち、腹は歉(あ)かず 衣裳は単のみ。


(現代語訳)
それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。


(訳注)
列聖蒙此恥,含懷不能宣。
 
それ以後、歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)は、安史の乱がもたらした藩鎮の割拠による混乱に、至上なるべき権威を失墜する恥辱をこうむった。歴代の天子の心中には、なんとか国権の回復を計り恥辱をすすごうとする思いが一杯になっていたのだが、それは実行には移せず、思召はただ心にわだかまるだけで、逆に媚薬に活路を求めた。
列聖 歴代の天子。第七代粛宗(711―762年)第八代代宗(727-779年)第九代徳宗(742-805年)第十代順宗(761-806六年)第十一代憲宗(778-820年)を指す。ほとんど毒殺か、中毒死。○含懐 水を口に含むように感情を胸に一杯ためる。○ 心をときほぐす。


謀臣拱手立,相戒無敢先。
軍攻参議の将軍も、ふところ手して、茫然と立ちつくすばかりであり、しりごみして互いに警戒し合い、牛李の闘争として目先の権力争いをし、率先して国威回復の建議を奉る者はいなかった。実質、宦官勢力により、政治は動かされた。
謀臣 軍政参議の臣。「敵国破、謀臣亡」(敵国破れて謀臣亡ぶ。)という言葉が「史記」(韓信のこと)伝にある。○摂 ふところ手して何もせぬこと。○ なんのそのと、事を押し切ってすること。


萬國困杼軸,内庫無金錢。
布を織るには、はたおり機の抒と軸とが規則正しく働かねばならぬ。国家の財政も同様、支出と収入の辻棲が合わねばならないのだ。そして、天下はその運営に窮し、国の左右の蔵には宝物、食料、金銭すべてなしというありさまになっている。
抒軸 はたおりの器具。抒柚とも書く。抒は横糸を通、軸は縦糸を受ける具、経緯というに等しく、古くから、国家経済の運営や作文技俯の喩えととされる。


健兒立霜雪,腹歉衣裳單。」
集められた義勇軍の兵士は、霜降り雪ちらつく寒天の下に、すき腹をかかえ、夏服を着て立ち向かわなければならないのだ。
健児 職業軍人のこと。西方、南方で大敗し、北方の局地戦でも負けていたため、754年天宝十四年、首都長安に義勇軍十万を募り、天宝健児と号した。○腹歉 歉は不足なこと。○衣裳単 単はひとえの着物。


2012new01



李商隠特集について
李商隠はほとんどの詩を王朝批判としてうたっている。恋歌、艶情、閨情、故事、形を変えて批判している。李白、杜甫、王維、白居易、韓愈、・・・・それぞれの方向性に違いはあっても、王朝批判をしている。

李商隠(812-858、杜甫が712年の生誕である)が生きたその青春時代、あるいは、最も大切な時期、将来を悲観する事件が起こっている。「甘露の変」である。李商隠にとって、衝撃的なものであり、その一生を変える大事件であった。この事件を理解すること、そしてこの事件をエポックメーキングとして李商隠の一生は決まったのである。このブログではそのことに留意して紹介してきたつもりである。


李商隠の生きた時代は、それは、その広大な国土に本来の意味で広大な統一国家が成立した初めての安定した王朝国家であった。そして、格段に向上した生産体制を基軸に、空前の文明社会を築いた。その唐王朝が、建国して100年前後、150年後、国家存亡の最大ピンチを迎えたが、体制を弱めながら、そして数十年ごとにと危機をむかえながら約300年続いたのである。当然のこととして、建国から150年頃の安史の乱以降、崩壊への道をたどりながら維持されたのである。
唐建国から100年の皇帝を頂点として、支配権力・軍事体制と軍事力・行政組織・監査機関など、あらゆる政治の要素が集中的に統一され、強化されたその蓄積された総合力により、のちの200年があったのである。


 日本では、詩の一部分を切り取り、それをその時の都合に合わせて解釈して行くことがほとんどの詩の読み方である。古詩の一部分を絶句のように、あるいは律詩のように一部分を切り取って都合よく紹介されているのはほとんどである。長詩を読まないとその詩人の性格がわからない。長詩にはその詩人の性格がすべて出ている。そしてそうした長詩の幾つかを重ね合わすといろんな人生が見えてくるのである。

 身分社会であること、どこで讒言されるかわからない時代である。詩人はその網をすり抜けて現代に遺産として残してくれたのである。
 このブログでは、できるだけその時の状況、政治体制などを考慮し、詩に書かれてあることの深い意味を紹介しようと思っている。そのため、一般的に本に書かれていることと違う解釈になっていること多いのである。これも、毎日少しずつ紹介しているので、論文の様な訳にはいかないが、李商隠150首特集はそれ全体で李商隠の研究論文といえるかもしれない。