孟郊(孟東野) 孟郊の交遊の詩(2)擇友 #2
擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖德。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生荆棘。
#2
好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
#1
獣中に人性有り、形異なり 人の隔つるに遭ふ。
人中に獣心有り、幾人か能く真に識る。
古人 形 獣に似るも、皆 大いなる聖徳有り。
今人 表は人に似るも、獣心 安んぞ測るべけん。
笑ふと雖も未だ必ずしも和せず、哭すと雖も未だ必ずしも戚ならず。
面は口頭の交はりを結ぶ、肚(はら)の裏は荆棘を生ず。
#2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂惕(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。
擇友 現代語訳と訳註
(本文) #2
好人常直道,不顺世間逆。
惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂惕。
君子大道人,朝夕恒的的。
(下し文) #2
好き人は常に直道し、世間の逆に順はず。
悪しき人は巧諂(こうてん)多く、非義にして苟且に得る。
是くの若く真人に效(なら)えば、堅き心は鉄石の如し。
諂(へつら)わず 亦 欺(あざむ)かず、奢(おご)らず複た溺れず。
面 色容を吝(お)しむ無く、心 憂惕(ゆうてき)を詐(いつわ)る無し。
君子は大道の人、朝夕 恒(つね)に的的たり。
(現代語訳)
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要である。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
孟郊(2)擇友 #2 (訳注)
好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不顺 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。
惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
○惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得。
いやしく‐も【苟も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。
若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
○效 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。
面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
○面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂惕 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。
君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
○大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。
擇友 孟郊
#1
獸中有人性,形異遭人隔。人中有獸心,幾人能真識。
古人形似獸,皆有大聖德。今人表似人,獸心安可測。
雖笑未必和,雖哭未必戚。面結口頭交,肚里生荆棘。
#2
好人常直道,不顺世間逆。惡人巧諂多,非義苟且得。
若是效真人,堅心如鐵石。不諂亦不欺,不奢複不溺。
面無吝色容,心無詐憂惕。君子大道人,朝夕恒的的。
獸中有人性,形異遭人隔。
獣の心の中に人の様な性があるという、実際の獣は人と姿形がちがうのであったとしても人とは分け隔てられるものである。
○獸中有人性 獣中の獣とは人の中の獣の心情、異民族の生活習慣を含むものと考える。○形異 形が違う。○遭人隔 遭えば人と隔てられる。
人中有獸心,幾人能真識。
人の中にも獣の心があるのである、はたして何人が本当のことを知っているのだろうか。
○幾人 幾人~だろうか。○能真識 本当のことを知っているのだろうか。
古人形似獸,皆有大聖德。
古代人は生産手段が未発達で姿は獣に似ていたものである、しかし、皆、三皇五帝などが示すように大きな聖徳の政治がおこなわれた。
○古人 昔の人。また、昔のすぐれた人。この場合古代人を言うのであろうか。○形似獸 生活様式が未発達のことを言うのか。農耕民族でなく狩猟民族のことを言うのであろうか。○大聖德 三皇五帝など古代には仁徳のある政治が行われていたということを言う。
今人表似人,獸心安可測。
今人は、表面は人に似ているのである、しかし、その人間に獣の心があることをどうして測り知ることができよう。
○今人 古代人に対して今の人間。○表似人 表面は人に似ている。○安可測 どうして測り知ることができよう。
雖笑未必和,雖哭未必戚。
人というもの表面で笑ってはいても必ずしも和やかであるというものではない、それからすると、人は声をあげて泣いていても必ずしも悲しんではいないということもあるのだ。
○必和 必ず和やかであるさま。○必戚 必ず悲しむさま。
面結口頭交,肚里生荆棘。
表面的な事を示すことは口先ばかりの交際をしていることがある、そういう人の腹のうちにはイバラのようなとげのある悪口を生じているものである。
○面結 表面的な事。表面でおこった出来事。○口頭交 口先ばかりの交際をしている。○肚里 はら【腹/肚】 [名]1 動物の、胸部と尾部との間の部分。胴の後半部。また、背に対して、地に面する側。人間では、胸から腰の間で中央にへそがある前面の部分。横隔膜と骨盤の間で、胃腸のある部分。腹部。○生荆棘 イバラのようなとげのある悪口を生じているもの。
好人常直道,不顺世間逆。
好まれる良い人物というものは常に筋の通ったまっすぐなもの言いをする、世間の人々の行う邪な道に沿った流れに従いはしない。
○好人 好まれる良い人物。○直道 筋の通ったまっすぐなもの言いをする。○不顺 流れに従わないこと。○世間逆 世間の人々の行う邪な道をいう。
惡人巧諂多,非義苟且得。
悪い人物は巧みな言葉、媚び諂うが多いものだ、そして正義にそむき、ごまかしてものを得る。
○惡人 悪い人間とされるもの。○巧諂 巧みな言葉、媚び諂うこと。○非義 正義にそむくこと。○苟且得。
いやしく‐も【苟も】 [副]《形容詞「いやし」の連用形+係助詞「も」から》1 仮にも。かりそめにも。「―人の上に立つ者のすべきことではない」2 もしも。万一。ここではごまかすことそしてものを得る。
若是效真人,堅心如鐵石。
このことが示すこととは真っ当な人にならうということだ、そうすれば堅い心は鉄石のようになるものなのだ。
○效 お手本にすること。○真人 真っ当な人。○堅心やろうと思って決心をした心持。
不諂亦不欺,不奢複不溺。
へつらわず、また欺かないことである、そして、おごらず、そのうえ、溺れない心が重要なのである。
面無吝色容,心無詐憂惕。
表面的な事だけはなしにすること、みめかたちのよいこと、美貌に関してはけちること、惜しむものだ、心のおもいだけではない、憂えおそれる気待ちを詐ったりはしないものだ。
○面無 表面的な事はないということ。○吝色容 容貌と顔色。みめかたち、また、みめかたちのよいこと、美貌に関して惜しむものだ。○心無 心の思いがないこと。○詐憂惕 憂えおそれる気待ちを詐ったりはしない。
君子大道人,朝夕恒的的。
君子はそのような大道にたつ人であるのだ、朝夕、いつも明らかな存在であるのである。
○大道人 大道にたつ人。○恒的的いつも明らかな存在である。
解説
古人が良くて、今人が良くないといっているのではない。「最近の若い者は、昔の人は・・・・・」といういみであろう。自分が生きていて経験していることが、今人としてのものを述べていて、古人と表現されるものは、いわゆる儒家の思想である。
この詩で、孟郊の言い分の痛烈な言葉としては「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」である。当時の唐王朝、初期の「貞観の治」では科挙試験のみならず、若い時に地方知事に赴任させ、仁徳をもってよく収めたものを中央の高級官僚にして行くシステムがあった。次の「開元の治」では玄宗の無能により、李林甫の「巧諂多」,「非義」「苟且得」「奢」の奸臣を重用、政治のバランスに異民族を登用した。韓愈・孟郊の時代は「中興の治」といわれるが、宦官の力が強大になり、実質の政治を動かしたのである。この時代、皇帝も宦官の差し出す、媚薬により、短命で、頽廃的にならざるを得なかった。そのような情勢下で30年も科挙のための浪人生活をしていた孟郊である。作詩自体は、レベルは高いが、内容的にはこの程度かという内容である。韓愈の詩と対照的である。盛唐の、李白、杜甫、王維、孟浩然などの詩のレベルが強烈なため、多くいる中唐の文人、詩人は独自性を出していくのに大変苦労したと思う。
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