曹植(曹子建) 《送應氏二首 其一》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3026
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曹植(曹子建) 《送應氏二首 其一》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3026 |
建安文学
建安文学 (けんあんぶんがく) 後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。
有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。
建安の詩人の中で、曹植は別格に優れた詩人であり、陶淵明や謝靈運らいわゆる六朝詩以前における最高の詩人の一人であることは間違いない。実際、彼の詩は今見ても表現は艶麗にして細緻、その描く情景の美しさには格別なものがある。
曹植の詩は、曹家の公子として、また天才青年詩人として活躍した前半生と、任地を流刑同然に転々としていた後半生とではっきりと二分される。父曹操の死歿によってはっきりとその詩の様相が変わるのである。文帝曹丕に疎まれることも、曹家に生まれ、人心掌握力を持っていれば仕方のない運命である。前半生のころの詩はひたすら華やかで明るく、後半はその憂悶が詩に表われ、詩人として生きていくことに喜びを感じていたのではないだろうか。
送應氏二首
其一
步登北芒阪,遙望洛陽山。
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
不見舊耆老,但睹新少年。
街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。
側足無行徑,荒疇不復田。
遊子久不歸,不識陌與阡。
中野何蕭條,千里無人煙。
念我平常居,氣結不能言。
其二
清時難屢得,嘉會不可常。
天地中無極,人命若朝霜。
願得展嬿婉,我友之朔方。
親昵並集送,置酒此河陽。
中饋起獨薄?賓飲不盡觴。
愛至望苦深,豈不愧中腸?
山川阻且遠,別促會日長。
願為比翼鳥,施翮起高翔!
其の一
歩みて北芒の坂を登り、遙かに洛陽の山を望む。
洛陽何ぞ寂寞たる、宮室 尽【ことごと】く焼焚【しょうふん】す。
垣牆【えんしょう】皆頓【くず】れ擗【さ】け、荊棘【けいきょく】上って天に参わる。
旧耆老【きろう】を見ず、但だ新少年を覩【み】るのみ。
足を側【そばだ】つるに行径なく、荒疇【こうちゅう】復た田をせず。
遊子久しく帰らず、陌と阡とを識らざらん。
中野【ちゅうや】何ぞ蕭条【しょうじょう】たる、千里人煙無し。
我が平常の居を念い、気結ばれて言うこと能わず。
其二
清時【せいじ】屡【しばし】ば得難く、嘉会常にはす可からず。
天地終極無く、人命朝の霜の若し。
願わくは 嬿婉【えんえん】を展【の】ぶるを得ん、我が友朔方【さくほう】に之く。
親昵【しんじつ】並び集いて送り、酒を此の河陽に置く。
中饋【ちゅうさ】は豈に独り薄からんや、賓は飲むに 觴【さかずき】を尽くさず。
愛至りて望み苦【はなは】だ深し、豈に中腸に愧じざらんや。
山川阻たり且つ遠く、別れ促【せま】りて会日【かいじつ】長し。
願わくは 比翼の鳥と為り、翮【つばさ】を施【の】べ起ちて高く翔【か】けらん。
『送應氏二首』 現代語訳と訳註
(本文) 其一
步登北芒阪,遙望洛陽山。
洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
不見舊耆老,但睹新少年。
(下し文)
其の一
歩みて北芒の坂を登り、遙かに洛陽の山を望む。
洛陽何ぞ寂寞たる、宮室 尽【ことごと】く焼焚【しょうふん】す。
垣牆【えんしょう】皆頓【くず】れ擗【さ】け、荊棘【けいきょく】上って天に参わる。
旧耆老【きろう】を見ず、但だ新少年を覩【み】るのみ。
(現代語訳)
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。
(訳注)
送應氏二首 其一
華やかな建安文学の中でも応瑒、応璩も中心的な存在であった。曹植のもとを去って、都に引き返す応瑒を送別するに当ってこの作品を作った。応瑒には『別詩二首』という作品が残っていて、この曹植の二首と呼応するところがあり、互いに作品を送りあって別れを惜しんだことがうかがえる。
建安七子に一人 )応瑒 (おうよう) ?~217 字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。
応璩(おうきょ) 190~252 字は休璉。汝南郡南頓の人。応瑒の弟にあたる。散騎常侍・侍中を経て、大将軍・曹爽の長史となった。時政を諷刺した「百一詩」は世上の評判を取った。嘉平二年(250)、再び侍中となった。
步登北芒阪,遙望洛陽山。
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
○北芒 洛陽の北にある山。後漢以降、この地に王侯貴族の墓が集まっていた。北邙 『古詩十九首之第十三首』「驅車上東門,遙望郭北墓。」劉希夷(劉廷芝)『公子行』「百年同謝西山日,千秋萬古北邙塵。」
洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
○焼焚 190年初平元年、形勢不利と判断した董卓が長安に逃避する際、洛陽の宮殿城郭を焼きはらったのだ。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
○頓擗 頓は崩壊、擗は破裂。
○荊棟 イバラ。
○参天 天にとどくほどのびる。
不見舊耆老,但睹新少年。
街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。
〇耆老 老人。
○但 ただ……だけ。
○少年 若者。
送應氏二首
其一
步登北芒阪,遙望洛陽山。
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
不見舊耆老,但睹新少年。
街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。
側足無行徑,荒疇不復田。
この焦土の洛陽の街はつま先立ちで歩かなければいけないほど行く路も踏み場もない。
遊子久不歸,不識陌與阡。
此れまで旅続きで久しく帰っていないので洛陽を訪れる君らはには道の東西さえ見分けられないほどなのだ。
中野何蕭條,千里無人煙。
此れでは野原の中に立つのであり、なんとしかことかこの蕭條と広がるこの地は。もう千里の彼方まで一筋の人の生活の煙がみえないのだ。
念我平常居,氣結不能言。
今私が君らかつて過ごした屋敷を思い出そうとしている、ところがこの有様を見ると、気持ちはふさがってしまい、言葉にすることもできない。
其の一
歩みて北芒の坂を登り、遙かに洛陽の山を望む。
洛陽何ぞ寂寞たる、宮室 尽【ことごと】く焼焚【しょうふん】す。
垣牆【えんしょう】皆頓【くず】れ擗【さ】け、荊棘【けいきょく】上って天に参わる。
旧耆老【きろう】を見ず、但だ新少年を覩【み】るのみ。
足を側【そばだ】つるに行径なく、荒疇【こうちゅう】復た田をせず。
遊子久しく帰らず、陌と阡とを識らざらん。
中野【ちゅうや】何ぞ蕭条【しょうじょう】たる、千里人煙無し。
我が平常の居を念い、気結ばれて言うこと能わず。
『送應氏二首 其一』後半 現代語訳と訳註
(本文)
側足無行徑,荒疇不復田。
遊子久不歸,不識陌與阡。
中野何蕭條,千里無人煙。
念我平常居,氣結不能言。
(下し文)
足を側【そばだ】つるに行径なく、荒疇【こうちゅう】復た田をせず。
遊子久しく帰らず、陌と阡とを識らざらん。
中野【ちゅうや】何ぞ蕭条【しょうじょう】たる、千里人煙無し。
我が平常の居を念い、気結ばれて言うこと能わず。
(現代語訳)
この焦土の洛陽の街はつま先立ちで歩かなければいけないほど行く路も踏み場もない。
此れまで旅続きで久しく帰っていないので洛陽を訪れる君らはには道の東西さえ見分けられないほどなのだ。
此れでは野原の中に立つのであり、なんとしかことかこの蕭條と広がるこの地は。もう千里の彼方まで一筋の人の生活の煙がみえないのだ。
今私が君らかつて過ごした屋敷を思い出そうとしている、ところがこの有様を見ると、気持ちはふさがってしまい、言葉にすることもできない。
(訳注)
送應氏二首 其一
華やかな建安文学の中でも応瑒、応璩も中心的な存在であった。曹植のもとを去って、都に引き返す応瑒を送別するに当ってこの作品を作った。応瑒には『別詩二首』という作品が残っていて、この曹植の二首と呼応するところがあり、互いに作品を送りあって別れを惜しんだことがうかがえる。
建安七子に一人 )応瑒 (おうよう) ?~217 字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。
応璩(おうきょ) 190~252 字は休璉。汝南郡南頓の人。応瑒の弟にあたる。散騎常侍・侍中を経て、大将軍・曹爽の長史となった。時政を諷刺した「百一詩」は世上の評判を取った。嘉平二年(250)、再び侍中となった。
側足無行徑,荒疇不復田。
この焦土の洛陽の街はつま先立ちで歩かなければいけないほど行く路も踏み場もない。
荒れ放題の田畑は ふたたび耕される様子もない。
○側足 つまだちして歩く。この場合焦土でまともに歩ける場所がないこと。
李白『梁甫吟』「側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。」
○疇 1 田畑のうね。あぜ道。田畑。「田疇」 2 昔。以前。
○田 耕作する(動詞)。
遊子久不歸,不識陌與阡。
此れまで旅続きで久しく帰っていないので洛陽を訪れる君らはには道の東西さえ見分けられないほどなのだ。
○遊子 旅人、応氏兄弟をさす。
○陌與阡 東西に通ずる道を陌といい、南北の大通りを阡という。
中野何蕭條,千里無人煙。
此れでは野原の中に立つのであり、なんとしかことかこの蕭條と広がるこの地は。もう千里の彼方まで一筋の人の生活の煙がみえないのだ。
○中野 野原の中。
○蕭條 ものさびしい。
・人煙 人が生活するためのかまどの煙。
念我平常居,氣結不能言。
今私が君らかつて過ごした屋敷を思い出そうとしている、ところがこの有様を見ると、気持ちはふさがってしまい、言葉にすることもできない。
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