曹植(曹子建) 《雑詩其四》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3041
- 2013/09/25
- 00:34
2013年9月25日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 | |
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩 LiveDoor | 司馬相如 《子虚賦 》(19)#8-1 文選 賦<109-#8-1>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩898 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3038 |
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ | |
Ⅱ中唐詩・晩唐詩 LiveDoor | 奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄【徽。】閣老張十八助教 韓愈(韓退之) <189>Ⅱ中唐詩804 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ3004 |
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" | |
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor | 656 七言古詩 《春日戲題惱郝使君兄》 蜀中転々 杜甫 <561-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3040 杜甫詩1000-561-#2-802/1500 |
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている | |
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2 | 曹植(曹子建) 《雑詩其四》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3041 (09/25) |
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩 | |
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor | 歸國遙二首 其二 温庭筠 <65> ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-299-5-#53 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3042 |
■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門) | |
■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex | |
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html 『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉 <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html 安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html 於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html 朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 登池上樓 #1 謝霊運<25>#1 ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。 李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html | |
曹植(曹子建) 《雑詩其四》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3041 |
玉台新詠集 巻二 曹植
雑詩
其一 (七哀詩)
明月照高樓,流光正徘徊。
上有愁思婦,悲歎有餘哀。
借問歎者誰?言是宕子妻。
君行踰十年,孤妾常獨棲。
君若清路塵,妾若濁水泥;
浮沈各異勢,會合何時諧?
願為西南風,長逝入君懷。
君懷良不開,賤妾當何依!
七哀詩 魏詩<33-1>文選 哀傷 666 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1881
其二
西北有織婦。綺縞何繽紛。
明晨秉機杼。日昃不成文。
太息終長夜。悲嘯入青雲。
妾身守空閨。良人行從軍。
自期三年歸。今已歷九春。
飛鳥遶樹翔。噭噭鳴索 。
願為南流景。馳光見我君。
雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>古詩源 巻三 三国時代の詩646 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1801
其三 情詩
微陰翳陽景,清風飄我衣。
遊魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
眇眇客行士,徭役不得歸。
始出嚴霜結,今來白露泺。
遊者歎黍離,處者歌式微。
慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。
情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 女性詩643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789
其四 閨情詩 雑詩
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
空室自生風。百鳥翩南征。
春思安可忘。憂戚與我幷。
佳人在遠遁。妾身單且煢。
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
倘終顧盻恩。永副我中情。
五
南國有佳人。容華若桃李。
朝游江北岸。夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏。誰為發皓齒。
俛仰歲將暮。榮曜難久恃。
雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805
雑詩 其四 (閨情詩)#1
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
空室自生風。百鳥翩南征。
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
春思安可忘。憂戚與我幷。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
佳人在遠遁。妾身單且煢。
季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。
#2
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
倘終顧盻恩。永副我中情。
衣を携りて中閨を出で、逍遙して 兩楹【りょうえい】に歩む。
閒房【かんぼう】何んぞ寂寞【せきばく】たる、綠草【りょくそう】階庭【かいてい】を被う。
空室【くうしつ】自から風を生じ、百鳥翔りて南に征く。
春思安んぞ忘る可けんや、憂戚【ゆうせき】我と幷【あ】わせり。
佳人【かじん】遠道【えんどう】に在り、妾身【しょうしん】独り単発たり。
歓会【かんかい】再びは遇い難く、蘭芝【らんし】重ねては栄えず。
人皆旧愛【きゅうあい】を棄つ、君豈に平生の若くならんや。
松に寄りて女蘿【じょら】と為り、水に依りて浮萍【ふひょう】の如し。
身を齎【つつ】しみて衿帯【きんたい】を奉じ、朝夕 【ちょうせき】堕傾【だけい】せず。
倘【も】しくは顧眄【こめん】の恩を終えたまわば、永く我が中情【ちゅうじょう】に副【そ】え。
『雑詩其三(情詩)』 現代語訳と訳註
(本文) 其四 閨情詩 雑詩
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
空室自生風。百鳥翩南征。
春思安可忘。憂戚與我幷。
佳人在遠遁。妾身單且煢。
(下し文)
衣を携りて中閨を出で、逍遙して 兩楹【りょうえい】に歩む。
閒房【かんぼう】何んぞ寂寞【せきばく】たる、綠草【りょくそう】階庭【かいてい】を被う。
空室【くうしつ】自から風を生じ、百鳥翔りて南に征く。
春思安んぞ忘る可けんや、憂戚【ゆうせき】我と幷【あ】わせり。
佳人【かじん】遠道【えんどう】に在り、妾身【しょうしん】独り単発たり。
(現代語訳)
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。
(訳注)
其四 閨情詩 雑詩
○雜詩 「玉台新詠」に従って、「雑詩」其四とする。この節の詩題を、各本は「閏情」とする。なおこの詩の制作時期は明瞭でないが、229年太和三年、東阿王に国がえになった後、明帝を懐しんで作るとされる。
参考(1)では、220年頃~223年にかけての情勢の概略をのべる。参考(2)で224~230年の情勢をのべるのでこの詩の背景として参考にされたい。
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
○撹衣 衣の裾を手にとって。「古詩十九首」之十九首
明月何皎皎,照我羅床緯。
憂愁不能寐,攬衣起徘徊。
客行雖雲樂,不如早旋歸。
出戶獨彷徨,愁思當告誰!
引領還入房,淚下沾裳衣。に基づいて作る。。
○中閨 閨中におなじ。ねやの中。
○逍遙 さまよいあるく。
曹丕『芙蓉池作』
乗輦夜行游、逍遥歩西園。双渠相漑灌、嘉木繞通川。
卑枝払羽蓋、脩条摩蒼天。驚風扶輪轂、飛鳥翔我前。
丹霞挟名月、華星出雲間。上天垂光彩、五色一何鮮。
寿命非松喬、誰能得神仙。遨游快心意、保己終百年。
〇兩楹 堂の入り口の二本の柱。この句で女性の自慰行為とも読める。不遇のものは性描写することで反骨を表すことが多い。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
○閒房 しずかな部屋。正室の傍にある部屋を房という。
○被 おおう。
○階庭 庭へおりる階段と中庭のこと。
空室自生風。百鳥翩南征。
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
○空室/空穴 開いた門戸をさす。うつろな部屋。
春思安可忘。憂戚與我幷。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
○春思 万物が冬の間は我慢をしている「春女陽気に感じて男を思う。」という。曹植の春思はこれにもとづくのであろう。。「天地陰陽、不革而成。」『易経、革』「上六、君子豹変、小人革面」(上六、君子は豹変し、小人は面を革む。)四季の移り変わりのように自然と直ってゆくことを言う。年が改まり、去年の秋冬の風が初春の景色へと変わってゆくように、何かが新しく、正しく改革されてゆく。それは下から登ってきた陽気が去年の陰気に取って代わられてゆくからである。易では下の陽気が上昇し、陰気と入れ替わってゆくことで春が来る。初春は泰(上が坤で下が乾の卦)で表し、地面の上は去年から残る秋冬の風の陰気が「緒風」として残っているが、地面には既に陽気が登ってきて、春が来たのが感じられる。ということで万物が性に目覚める季節の思い。
○憂戚 憂も戚も、ともにうれいの意。
○与我幷 私と一つになる。私とともに存在してはなれない。この語は男女の合体を意味する。
佳人在遠遁。妾身單且煢。
季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。
○佳人 表面的には夫をさす
○単煢 孤独のさま。
参考(1)
■曹操の死と漢王朝の滅亡
220年1月23日。洛陽において魏王曹操が逝去する。享年六十六歳であった。
偉大なる覇王の跡を継いだ曹丕は、そつなく国内をまとめあげ、曹操の死による動揺は蜀と呉の陣営が期待したほどにはなかった。
220年10月、曹杢は漢王朝より禅譲を受け、皇帝となる。かくして前漢も合わせれば四百年にわたって続いた漢王朝は滅亡し、代わって魏王朝が成立するのであった。
221年4月、曹丕の魏皇帝即位に対抗して、劉備もまた漢王朝の皇帝として即位する。後に蜀と呼ばれる国家の成立であるが、彼としては劉備が漢王朝の血を引くと自称しており、あくまで漢王朝の正当なる後継者としての皇帝即位であったが、一般的に表現の混乱を避けるため以後「蜀」と表記する。
皇帝に即位した劉備は、荊州奪回を決意する。これは、彼の配下や兵士たちには荊州出身者が多く含まれており、彼らのためにも荊州を奪還せねば人心をまとめあげることが難しかったのである。ただ、義弟である関羽の復仇に意固地になったため過去の劉備とまったく異なるほどの冷静さを欠いてたたかっている。ただこれは劉備の個人的な感情に走るほど無理な戦争であったということなのだ。つまり、蜀から呉を攻め落とせるだけの力量がなかったということであろう。
■夷陵の戦いと劉備の死
221年7月。劉備は蜀の軍勢の大半を動員して、孫権陣営に宣戦布告する。
開戦当初、劉備の勢いは凄まじく、いっきに長江を下っていった。呉の総司令官である陸遜は、蜀軍の勢いを受け流すかのように防衛線を五百里も後退していく。
222年2月、陸遜は夷陵に最終防衛線を張り、ここを堅守して持久戦の態勢に入るのであった。
夷陵における劉備と陸遜の対陣は三カ月にも及び、蜀軍も疲労と倦怠の色が濃くなっていく。
222年5月、陸遜は蜀軍の士気が緩み切ったのを見計らい総攻撃をかける。火攻と夜襲による陸遜の奇襲は見事に成功し、蜀軍は潰滅する。劉備は身一つで白帝城に逃げ込んだものの、蜀軍は多くの将が討たれ、兵員の損害は甚大なるものとなった。ほぼ全滅といえる敗戦である。
このまま陸遜が劉備を追撃し、続けて益州まで攻め入っていれば蜀はこの時点で滅亡していたかもしれない。呉も一時的には蜀を攻め落とせても長期的には伸びすぎた戦力として魏の進行に敗れるとした。蜀は呉の冷静さに救われたということだ。
■曹丕の参戦
曹丕が蜀と呉の戦いの隙を突いて、大軍を南下させようとしていたのである。この報を受けるまでもなく、陸遜は追撃をしなかったのである。
223年、曹丕は濡須口において呉軍と開戦する。しかし呉と蜀の戦いは曹丕の予想よりも早く決着し、防備を整備見直していた呉軍の前に撃退されることになる。結果としては、蜀を救うだけの徒労な遠征となった。ここで三権の力関係がバランスを取れた段階に入ったということだ。
223年4月、劉備は成都に戻ることなく白帝城にて失意のまま没する。そして跡を継いだ劉禅が蜀の皇帝に即位することになった。これを丞相である諸葛亮が補佐するという体制がとられるが、主力軍の大半を失ったうえに、夷陵の敗戦と劉備の死の動揺は大きく、早くも国内では反乱が頻発する。建国間もない蜀は、滅亡の道を啜家と思われるほどの同様であったのだ。
ともあれ漢王朝もまた滅び、後漢末の動乱を飾った最後の群雄である曹操と劉備が没したのである。時代は後漢末から三国時代へと、名実ともに移り変わっていく。
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
空室自生風。百鳥翩南征。
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
春思安可忘。憂戚與我幷。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
佳人在遠遁。妾身單且煢。
季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。
#2
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
貴方というものがある以上心ときめく出合は許されるものではなくいけないことなのです。このかぐわしい蘭や香草芝は、もう一度花やぐことはかないことでこのまま次第に衰えていくのです。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
わたしは『衿帯の教え』を遵奉し、操を堅くまもっています。朝な夕なに女としての務めをおこたりなくいたしております。
倘終顧盻恩。永副我中情。
私の願いは、万が一にも私を忘れず、かつての愛情を最後までかけて下さいということで、いついつまでも、わたしの心をささえていただきたいということなのです。
衣を携りて中閨を出で、逍遙して 兩楹【りょうえい】に歩む。
閒房【かんぼう】何んぞ寂寞【せきばく】たる、綠草【りょくそう】階庭【かいてい】を被う。
空室【くうしつ】自から風を生じ、百鳥翔りて南に征く。
春思安んぞ忘る可けんや、憂戚【ゆうせき】我と幷【あ】わせり。
佳人【かじん】遠道【えんどう】に在り、妾身【しょうしん】独り単発たり。
歓会【かんかい】再びは遇い難く、蘭芝【らんし】重ねては栄えず。
人皆旧愛【きゅうあい】を棄つ、君豈に平生の若くならんや。
松に寄りて女蘿【じょら】と為り、水に依りて浮萍【ふひょう】の如し。
身を齎【つつ】しみて衿帯【きんたい】を奉じ、朝夕 【ちょうせき】堕傾【だけい】せず。
倘【も】しくは顧眄【こめん】の恩を終えたまわば、永く我が中情【ちゅうじょう】に副【そ】え。
『雑詩其四(閨情詩)』 現代語訳と訳註
(本文) #2
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
倘終顧盻恩。永副我中情。
(下し文)
歓会【かんかい】再びは遇い難く、蘭芝【らんし】重ねては栄えず。
人皆旧愛【きゅうあい】を棄つ、君豈に平生の若くならんや。
松に寄りて女蘿【じょら】と為り、水に依りて浮萍【ふひょう】の如し。
身を齎【つつ】しみて衿帯【きんたい】を奉じ、朝夕 【ちょうせき】堕傾【だけい】せず。
倘【も】しくは顧眄【こめん】の恩を終えたまわば、永く我が中情【ちゅうじょう】に副【そ】え。
(現代語訳)
貴方というものがある以上心ときめく出合は許されるものではなくいけないことなのです。このかぐわしい蘭や香草芝は、もう一度花やぐことはかないことでこのまま次第に衰えていくのです。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
わたしは『衿帯の教え』を遵奉し、操を堅くまもっています。朝な夕なに女としての務めをおこたりなくいたしております。
私の願いは、万が一にも私を忘れず、かつての愛情を最後までかけて下さいということで、いついつまでも、わたしの心をささえていただきたいということなのです。
(訳注) #2
其四 閨情詩 雑詩
○雜詩 「玉台新詠」に従って、「雑詩」其四とする。この節の詩題を、各本は「閏情」とする。なおこの詩の制作時期は明瞭でないが、229年太和三年、東阿王に国がえになった後、明帝を懐しんで作るとされる。
参考(1)では、220年頃~223年にかけての情勢の概略をのべる。参考(2)で224~230年の情勢をのべるのでこの詩の背景として参考にされたい。
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
貴方というものがある以上心ときめく出合は許されるものではなくいけないことなのです。このかぐわしい蘭や香草芝は、もう一度花やぐことはかないことでこのまま次第に衰えていくのです。
○蘭芝香草で、才徳の象徴。「曹集」では芝蘭に作るが「玉台新詠」に従う。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
人はみな、昔の愛人をすてぜるもの。あなたも、若かりし頃のようではありますまい。
○旧愛 昔の愛人。
○豈 反語で、どうして……であろうやの意。反語にとらないで推量的な疑問副詞ととる見方もある。
○平生かつての時間。若い頃。「論語」憲間に「久要(昔の約束)平生の言を忘れずんは」と見え、孔安国の注によると平生とは少時と同義。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
○女蘿 ヒメカズラ。松は男性の象徴。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
わたしは『衿帯の教え』を遵奉し、操を堅くまもっています。朝な夕なに女としての務めをおこたりなくいたしております。
○齎身 身をつつしむこと。貞操を守ること。
○奉衿帯 身をつつしみ婦道にはげめとの《衿帯の教え》を遵奉する。衿帶とは1 着物の襟と帯。2 《山が襟のように、川が帯のように取り巻く意から》山や川に囲まれて、敵の攻撃を受けにくい要害の地。これらを踏まえて嫁いだ女性の操を守る道徳的な教えを云う。
○不墮傾 上述の嫁入り時の母の教を固く守り、道をあやまらないこと。嫁ぎ先の義理の母は絶対であった。32回の連載であった『為焦仲卿妻作』を参考。
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩583 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1566
倘終顧盻恩。永副我中情。
私の願いは、万が一にも私を忘れず、かつての愛情を最後までかけて下さいということで、いついつまでも、わたしの心をささえていただきたいということなのです。
○倘終顧盻恩 万が一にも私を忘れず、かつての愛情をかけて下さるならばの意。倘は仮定の言葉で、もし、万一にもの意。銘はまっとうする、最後までつづける。顧盻はかえり見る、思いやる。恩は夫婦の愛情をいう。
○副 つまびらかにするという意味を含んでささえること。
○中情 心中。この場合の中はあたるという意味。
参考(2)
蜀の復興と諸葛亮の手腕
223年、劉備に代わって劉禅が皇帝に即位した蜀は、滅亡の危機に瀕していた。夷陵の敗北は蜀の軍事と経済に深刻な打撃を与え、劉備の死は蜀の国威を低下させたのである。223年、成都にはど近い漢嘉の太守黄元が苛に叛旗を翻したのを皮切りに、また同年、益州軍の確聞、脾脚部太守の朱襲、越亮の異民族の王高定と、立て続けに反乱が勃発する。
ここで獅子奮迅の働きをするのが蜀の丞相諸葛亮である。彼は屯田政策、塩・鉄の専売制、蜀錦などの殖産興業の奨励といった数々の経済政策を行ない、蜀の経済を立て直す。一方、呉に部芝を派遣し外交関係の修復にも努める。呉は款の曹丕が南下していたこともあり、蜀からの講和と同盟の再締結の申し出を受け入れるのであった。
この時期の諸葛亮の大いなる働きによって、一時は滅亡寸前であった蜀は内政外交の両面で立ち直っていく。
225年、蜀を再建した諸葛亮は、ようやく南方の反乱の鎮定に乗り出し、これらをすべて治めていく。諸葛亮はここでも優れた手腕を発揮し、この南方の異民族たちを後方の重要な生産力として確保することに成功したのであった。
諸葛亮の北伐227年三月、やっと国内を安定させた諸葛亮は、念願の北伐に乗り出す。「出師の表」で漢の復興を高らかに宣言した彼は、漢中を足がかりとして北への進撃を開始する。諸葛亮にとってこの北伐は、充分に勝算のある作戦であった。というのも、予め上庸の孟達と内応の約束を取り付けてあり、また前年には魂帝の曹杢が崩御しており、その混乱も期待できたからである。しかし、内応した孟達は魏の司馬懿の速攻に漬されてしまう。蜀本軍も、迎撃に出た曹真を相手に善戦するが、228年初頭の街事の戦いで蜀の守将馬謀が魏の名将張部に大敗を喫し、戦線全体が崩壊して撤退を余儀なくされる。
同年十一月、諸葛亮は再び北伐の兵を起こすが、魏の司令官曹真はこれを予期していた。要衝である陳倉には城が築かれ、守将である那昭がこれをよく守り、諸葛亮は手も足も出ず撤退する。
229年、諸葛亮は三度目の北伐を行ない武都、陰平を併竜北伐初の戦果を挙げる。同年九月、孫権が呉において帝位を宣言。名目上、これ以降「三国時代」となる。
231年、請書亮は四度目の北伐を行なう。このとき初めて総司令官として諸葛亮に対したのが、病没した曹真の後を受けた司馬鼓であった。諸葛亮と司馬敦は、郡山において開戦する。これは萄軍有利に終わるが、補給が続かず撤退を余儀なくされる。だが諸葛亮は、この撤退戦において第一次北伐で煮え湯を飲まされた、張部を討ち取ることに成功する。
このように、諸葛亮の北伐は戦果は挙げるものの、その目的である魏の打倒を果たすにははど遠いというのが実情であった。だが、劉備の死後、崩壊するかと思われた蜀を、諸葛亮は見事に立て直したのは事実である。なおかつ彼は、再三にわたる北伐で、覇に歴史の主導権を握らせる。呉も何度か蜀の北伐に呼応して魏に攻め入っていたが、やはりこの時代の主役は蜀であり、諸葛亮であった。
「閨情詩」カテゴリの最新記事
- 雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩<34-#2>玉台新詠 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1893
- 雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩<34-#1>玉台新詠 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1889
- 獨不見 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集242/350
- 自代内贈 #3 李白 241 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#3
- 自代内贈 #2 李白 240 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#2
- 自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1
- 妾薄命 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -238
- 黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237
- 無題(乗是重言去紹躍) 李商隠 19
- 待酒不至 李白 103
「三国時代の詩」カテゴリの最新記事
- 出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753
- 出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮 詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#12>Ⅱ李白に影響を与えた詩839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2743
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#11>Ⅱ李白に影響を与えた詩838 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2738
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#10>Ⅱ李白に影響を与えた詩837 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2733
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#9>Ⅱ李白に影響を与えた詩836 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2728
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩835 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2723
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩834 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2718
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩833 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2713
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩831 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2703
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩830 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2698
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩829 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2693
- 出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩828 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2688
- 出師表-前出師表(まとめ)-諸葛亮 漢詩<97-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2683
- テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
- ジャンル:学問・文化・芸術
- カテゴリ:楽府
- CM:0
最新記事
- 長い間ブログを休校している件について (09/01)
- 李太白集 397《太白巻23-02效古二首其一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7573 (04/04)
- 李太白集 396《太白巻二十二40憶東山二首 其二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7568 (04/03)
- 李太白集 395《太白巻二十二39憶東山二首 其一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7563 (03/30)
- 李太白集 394《太白巻二十08杜陵絕句》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7558 (03/29)
- 李太白集 393《太白巻十九18朝下過盧郎中敘舊游》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7553 (03/28)
- 李太白集 392《太白巻十八12金門答蘇秀才》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7548 (03/27)
- 太白集 391《太白巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7543 (03/26)
- 太白集 390《太白巻十六33 送長沙陳太守,二首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7538 (03/25)
- 李太白集 389《太白巻十六32 送長沙陳太守,二首之一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7533 (03/24)
- 李太白集 388《太白巻十六26 送祝八之江東賦得浣紗石》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7528 (03/23)
- 李太白集 387《太白巻十六23-《送白利從金吾董將軍西征》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7523 (03/22)
- 李太白集 386《太白巻十六21 送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7508 (03/19)
- 李太白集 385《太白巻十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7503 (03/18)
- 李太白集 384《太白巻十六18-2 送外甥鄭灌從軍,三首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7498 (03/17)
- 李太白集 383《太白巻十六18-1 送外甥鄭灌從軍,三首之一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7493 (03/16)
- 李太白集 382《太白巻十六13 送張遙之壽陽幕府》 (壽陽信天險,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7488 (03/15)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/14)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/13)
- 李太白集 380《太白巻十六08 送竇司馬貶宜春》 (天馬白銀鞍,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7478 (03/12)
- 李太白集 379《太白巻十四34 贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7473 (03/11)
- 李太白集 378《太白巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》 (浮陽滅霽景) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7468 (03/10)
- 李太白集 377《太白巻巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7463 (03/09)
- 李太白集 376《太白巻八36 贈盧徵君昆弟》 (明主訪賢逸) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7458 (03/08)
- 李太白集 375《太白巻八22 贈郭將軍》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7453 (03/07)
- 李太白集 374《太白巻六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》 (高堂粉壁圖蓬瀛) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7448 (03/06)
- 李太白集 373《太白巻六07 西嶽雲臺歌送丹丘子》 (西嶽崢嶸何壯哉) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7443 (03/05)
- 李太白集 372《太白巻六05 玉壺吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7438 (03/04)
- 李太白集 371《太白巻卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7433 (03/03)
- 李太白集 370《太白巻五 24-秋思》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7428 (03/02)