曹植(曹子建) 《贈王粲》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3056
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曹植(曹子建) 《贈王粲》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3056 |
贈王粲
端坐苦愁思,攬衣起西遊。
暫く一休みしてじっと坐っていると憂愁の思いがさらにまして苦しくなる。だから、着物の裾をからげてたちあがり、西の方を目指して行きはじめる。
樹木發春華,清池激長流。
既に春もたけなわで、樹木は春の花をまんかいにしている。すんだ池には、遠くからながい流れを成してきれいなみずをそそぎこんで、はげしく白波をたてている。
中有孤鴛鴦,哀鳴求匹儔。
池の中ほどに、つがいを離れた鴛鳶がいる。だからだろうか、哀しげな声をあげて、つれあいを求めているのだろう。
我願執此鳥,惜哉無輕舟。
私はこの鳥があなたに見え、これをわが手の中にとらえたいと願ってはいるものの、残念なことに、捕まえにいく手立ての軽やかに動く小舟を用意することが出来ないのだ。(王粲に時期が来るまでもう少し待っていてくれということを云っているのだ。)
#2
欲歸忘故道,顧望但懷愁。
悲風鳴我側,羲和逝不留。
重陰潤萬物,何懼澤不周。
誰令君多念,自使懷百憂。
王粲に贈る
端坐して愁思に苦しみ、衣を攬り 起ちて西遊す。
樹木 春華を発き、清池長流を激す。
中に孤なる鴛鴦有り、哀鳴して匹儔を求む。
我 此の鳥を執えんと願うも、惜しい哉 軽舟なし。
帰らんと欲して政道を忘れ、顧み望みて但だ愁を懐く。
悲風は我が側に鳴り、義和 逝きて留まらず。
重陰 万物を潤さば、何ぞ沢の周ねからざるを懼れん。
誰か君をして念い多からしめ、自ら百憂を懐かしむる。
『贈王粲』 現代語訳と訳註
(本文) 贈王粲
端坐苦愁思,攬衣起西遊。
樹木發春華,清池激長流。
中有孤鴛鴦,哀鳴求匹儔。
我願執此鳥,惜哉無輕舟。
(下し文) 王粲に贈る
端坐して愁思に苦しみ、衣を攬り 起ちて西遊す。
樹木 春華を発き、清池長流を激す。
中に孤なる鴛鴦有り、哀鳴して匹儔を求む。
我 此の鳥を執えんと願うも、惜しい哉 軽舟なし。
(現代語訳)
暫く一休みしてじっと坐っていると憂愁の思いがさらにまして苦しくなる。だから、着物の裾をからげてたちあがり、西の方を目指して行きはじめる。
既に春もたけなわで、樹木は春の花をまんかいにしている。すんだ池には、遠くからながい流れを成してきれいなみずをそそぎこんで、はげしく白波をたてている。
池の中ほどに、つがいを離れた鴛鳶がいる。だからだろうか、哀しげな声をあげて、つれあいを求めているのだろう。
私はこの鳥があなたに見え、これをわが手の中にとらえたいと願ってはいるものの、残念なことに、捕まえにいく手立ての軽やかに動く小舟を用意することが出来ないのだ。(王粲に時期が来るまでもう少し待っていてくれということを云っているのだ。)
(訳注)
贈王粲
○王粲 (177-217年)字は仲宜、山陽高平(山東、金郷県西北)の人。《建安七子》の一人。劉柏(171-217年)とともに、曹植につぐ建安文学の担い手で、悲愴憂愁に富む作品が多い。この詩の制作時期は当然王粲が死んだ建安二十二年(二一七年)以前で、内容より王粲が侍中の職につく建安二十年以前と推定される。一説には王粲が荊州の劉表に仕えていた時の作、また一説には、彼が曹操に召されて郷におもむいた(その頃曹植は有力な王位継承者と目されていた。)頃の作ともいう。なおこの詩は王粲の「雜詩」日暮遊西園と映発するところが多い。或いは曹植が王粲の作品に擬したもの。
王粲「雜詩」
日暮遊西園,冀寫憂思情。曲池揚素波,列樹敷丹榮。 上有特棲鳥,懷春向我鳴。褰袵欲從之,路險不得征。 徘徊不能去,佇立望爾形。風飈揚塵起,白日忽已冥。 回身入空房,托夢通精誠。人欲天不違,何懼不合幷。
私感であるが、王粲の詩と曹植の詩に共通して言えるのは詩の意図が分からないということだ。魏王の後継争いの支持確認の詩と考えれば内容的に理解できる。唐時代まで詩人は軍人であり、メッセージを詩で行っている。ほとんどの詩が裏の意味を考えrないと理解できないが、ここではその点は示唆だけにとどめる。
端坐苦愁思,攬衣起西遊。
暫く一休みしてじっと坐っていると憂愁の思いがさらにまして苦しくなる。だから、着物の裾をからげてたちあがり、西の方を目指して行きはじめる。
○端坐 じっと坐っていること。
○攬衣 「古詩」に「衣を携り起ちて排梱す」と見える。
古詩十九首 之第十九首
明月何皎皎,照我羅床緯。憂愁不能寐,攬衣起徘徊。
客行雖雲樂,不如早旋歸。出戶獨彷徨,愁思當告誰!
引領還入房,淚下沾裳衣。
○西園 銅雀園。張載の「魏都賦」の注に「文昌殿の西に銅爵(雀)園あり、国中に魚池あり。」という。
樹木發春華,清池激長流。
既に春もたけなわで、樹木は春の花をまんかいにしている。すんだ池には、遠くからながい流れを成してきれいなみずをそそぎこんで、はげしく白波をたてている。
○長流 造かな方より流れて来た川をいうか。玉条の「雑詩」には「曲池素波を揚ぐ。」という。
中有孤鴛鴦,哀鳴求匹儔。
池の中ほどに、つがいを離れた鴛鳶がいる。だからだろうか、哀しげな声をあげて、つれあいを求めているのだろう。
○鴛鴦 おしどり。夫婦仲のよい鳥。
王桑をさしていうとは、唐の李善注以来の説である。三条の「社詩」に「上に特り棲む鳥あり、春を懐い我に向いて鳴く。」と見える。
古詩十九首 之第十八首
客從遠方來,遺我一端綺。相去萬餘里,故人心尚爾。
文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。著以長相思,緣以結不解。
以膠投漆中,誰能別離此?
〇匹俸 つれ。
我願執此鳥,惜哉無輕舟。
私はこの鳥があなたに見え、これをわが手の中にとらえたいと願ってはいるものの、残念なことに、捕まえにいく手立ての軽やかに動く小舟を用意することが出来ないのだ。(王粲に時期が来るまでもう少し待っていてくれということを云っているのだ。)
○我願執此鳥,惜哉無輕舟 王粲の苦境を救い、自分たちのグループにひきいれたいが、悲しいことに、自分には救うてだてがない,王粲に時期が来るまでもう少し待っていてくれということを云っているのだ。。
贈王粲
端坐苦愁思,攬衣起西遊。
樹木發春華,清池激長流。
中有孤鴛鴦,哀鳴求匹儔。
我願執此鳥,惜哉無輕舟。
#2
欲歸忘故道,顧望但懷愁。
悲風鳴我側,羲和逝不留。
重陰潤萬物,何懼澤不周。
誰令君多念,自使懷百憂。
王粲に贈る
端坐して愁思に苦しみ、衣を攬り 起ちて西遊す。
樹木 春華を発き、清池長流を激す。
中に孤なる鴛鴦有り、哀鳴して匹儔を求む。
我 此の鳥を執えんと願うも、惜しい哉 軽舟なし。
帰らんと欲して政道を忘れ、顧み望みて但だ愁を懐く。
悲風は我が側に鳴り、義和 逝きて留まらず。
重陰 万物を潤さば、何ぞ沢の周ねからざるを懼れん。
誰か君をして念い多からしめ、自ら百憂を懐かしむる。
贈王粲
端坐苦愁思,攬衣起西遊。
暫く一休みしてじっと坐っていると憂愁の思いがさらにまして苦しくなる。だから、着物の裾をからげてたちあがり、西の方を目指して行きはじめる。
樹木發春華,清池激長流。
既に春もたけなわで、樹木は春の花をまんかいにしている。すんだ池には、遠くからながい流れを成してきれいなみずをそそぎこんで、はげしく白波をたてている。
中有孤鴛鴦,哀鳴求匹儔。
池の中ほどに、つがいを離れた鴛鳶がいる。だからだろうか、哀しげな声をあげて、つれあいを求めているのだろう。
我願執此鳥,惜哉無輕舟。
私はこの鳥があなたに見え、これをわが手の中にとらえたいと願ってはいるものの、残念なことに、つかまえにいくてだてのからやかにうごく小舟を用意することが出来ないのだ。(王粲に時期が来るまでもう少し待っていてくれということを云っているのだ。)
#2
欲歸忘故道,顧望但懷愁。
そこで舟を取りに帰ろうとしたが、もと来た道を忘れてしって、何度も振り返って確認したが、悲しい思いをいだくばかりであったのだ。
悲風鳴我側,羲和逝不留。
秋の冷たくつれない風が、私の左右にヒユウヒユウと通り抜けるばかりだ。そうしてるうちに、時間を運ぶ神は一瞬たりとも、とどまってはくれないのだ。
重陰潤萬物,何懼澤不周。
密雲は万物を潤してくれるものである。何も雨露の恵みがゆきわたらないのを恐れる必要はない。(君、わたし魏王なることが一番重要なことで、そうなれば、不遇をかこつものにも恵みを垂れることができるのだ。)
誰令君多念,自使懷百憂。
しかし、誰をして君を多くのもの思いに沈ませるというのだ。もう少しの間、君の心中に、多くの心配ごとをいだかしめるかもしれないことを、深くおわびるので、いろいろよろしく。
王粲に贈る
端坐して愁思に苦しみ、衣を攬り 起ちて西遊す。
樹木 春華を発き、清池長流を激す。
中に孤なる鴛鴦有り、哀鳴して匹儔を求む。
我 此の鳥を執えんと願うも、惜しい哉 軽舟なし。
帰らんと欲して政道を忘れ、顧み望みて但だ愁を懐く。
悲風は我が側に鳴り、義和 逝きて留まらず。
重陰 万物を潤さば、何ぞ沢の周ねからざるを懼れん。
誰か君をして念い多からしめ、自ら百憂を懐かしむる。
『贈王粲』#2 曹植 魏詩 現代語訳と訳註
(本文) #2
欲歸忘故道,顧望但懷愁。
悲風鳴我側,羲和逝不留。
重陰潤萬物,何懼澤不周。
誰令君多念,自使懷百憂。
(下し文)
帰らんと欲して政道を忘れ、顧み望みて但だ愁を懐く。
悲風は我が側に鳴り、義和 逝きて留まらず。
重陰 万物を潤さば、何ぞ沢の周ねからざるを懼れん。
誰か君をして念い多からしめ、自ら百憂を懐かしむる。
(現代語訳)
そこで舟を取りに帰ろうとしたが、もと来た道を忘れてしって、何度も振り返って確認したが、悲しい思いをいだくばかりであったのだ。
秋の冷たくつれない風が、私の左右にヒユウヒユウと通り抜けるばかりだ。そうしてるうちに、時間を運ぶ神は一瞬たりとも、とどまってはくれないのだ。
密雲は万物を潤してくれるものである。何も雨露の恵みがゆきわたらないのを恐れる必要はない。(君、わたし魏王なることが一番重要なことで、そうなれば、不遇をかこつものにも恵みを垂れることができるのだ。)
しかし、誰をして君を多くのもの思いに沈ませるというのだ。もう少しの間、君の心中に、多くの心配ごとをいだかしめるかもしれないことを、深くおわびるので、いろいろよろしく。
(訳注) #2
贈王粲
○王粲 (177-217年)字は仲宜、山陽高平(山東、金郷県西北)の人。《建安七子》の一人。劉柏(171-217年)とともに、曹植につぐ建安文学の担い手で、悲愴憂愁に富む作品が多い。この詩の制作時期は当然王粲が死んだ建安二十二年(二一七年)以前で、内容より王粲が侍中の職につく建安二十年以前と推定される。
欲歸忘故道,顧望但懷愁。
そこで舟を取りに帰ろうとしたが、もと来た道を忘れてしって、何度も振り返って確認したが、悲しい思いをいだくばかりであったのだ。
・欲歸忘故道,顧望但懷愁。この二句は暗号のようなものであろう。わざわざ、お詫びの手紙の中にこの句が入る必要性は、ないはずである。ただ、普通に解釈すれば、「孤独な鴛鴦の片方を何とか救おうとしたけれども邪魔立てされてうまくいかなかった」。ということであるが、これを王粲に対する密命の書簡とすれば、「私は今監視されていて身動きが取れないから、そうひをあんさつするじゅんびをしておいてくれ。」と解釈できる。」
悲風鳴我側,羲和逝不留。
秋の冷たくつれない風が、私の左右にヒユウヒユウと通り抜けるばかりだ。そうしてるうちに、時間を運ぶ神はは一瞬たりとも、とどまってはくれないのだ。
〇悲風鳴我側,羲和逝不留 王粲を曹植のもとにととめ置くことが出来なくなったと悲しんだもの。これは、自分は身動きが取れないから君がいろいろ動いてくれということにもとれる。
○義和 日の神であり、日を乗せる馬車の御者とも考えられ、更には、二つの名に分けて、暦法を定めた人ともされた。「山海経」に記載のある太陽の母神であり、炎帝に属し東夷人の先祖にあたる帝俊の妻。東海の海の外、甘水のほとりに義和の国があり、そこに生える世界樹・扶桑の下に住む女神である義和は、子である「十の太陽たち」を世話している。天を巡ってきてくたびれた太陽を湯谷で洗っては扶桑の枝にかけて干し、輝きを蘇らせるという。ここでは日の御者としての義和とすると、時間を進める御者として、義和をいっているから、日月といってもそう矛盾を感じないものである。太陽をのせて走る車の御者。神話中の人物である。「楚辞」離巌に「吾義和をして節を辞めしめ云云」と見える。○六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一,『准南子』「天文訓」など)。
また、「書経」五子之歌から》くさった縄で6頭の馬を御するように、非常に難しくて危ないこと
義和の神を例にとることは、暗殺計画を意味するものである。
重陰潤萬物,何懼澤不周。
密雲は万物を潤してくれるものである。何も雨露の恵みがゆきわたらないのを恐れる必要はない。(君、わたし魏王なることが一番重要なことで、そうなれば、不遇をかこつものにも恵みを垂れることができるのだ。)
○重陰 重なった雲、密雲をいうことで、曹操にたとえたものというのが定説。密雲は雨をもたらし、雨はよく万物をうるおす。曹操は万物に恵みをたれるにふさわしい人であり、またその位置にあるから、こう言ったものである。このことで、王粲に必ず君は登用されるということを云ったことになる。あるいは、とりかたによれば、だから「曹操は私(曹植)を後継者に選ぶだろう、そうして私は君を必ず登用する」といっているともいえる。
○沢 雨露、またその恩恵をいう。
誰令君多念,自使懷百憂。
しかし、誰をして君を多くのもの思いに沈ませるというのだ。もう少しの間、君の心中に、多くの心配ごとをいだかしめるかもしれないことを、深くおわびるので、いろいろよろしく。
○誰令君多念,自使懷百憂 王粂よりの依頼を果し得ぬことをわびている。もうしばらくの辛抱だ。
贈王粲
端坐苦愁思,攬衣起西遊。
樹木發春華,清池激長流。
中有孤鴛鴦,哀鳴求匹儔。
我願執此鳥,惜哉無輕舟。
#2
欲歸忘故道,顧望但懷愁。
悲風鳴我側,羲和逝不留。
重陰潤萬物,何懼澤不周。
誰令君多念,自使懷百憂。
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