曹植(曹子建) 《又贈丁儀王粲》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3061
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2013年9月29日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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曹植(曹子建) 《又贈丁儀王粲》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3061 |
この詩の建安十六年とは、
「魏志」の曹植伝及び裴松之の注によれば、丁儀が曹植に接近し始めたのは建安十六年頃からであり、建安十九年には丁儀が曹植の羽翼となったと明記している。曹操配下の鍾繇の漢中遠征に対して、関中馬超が疑心を抱き、韓遂・楊秋・李堪・成宜らとともに反乱を起こす。
建安十六年秋七月曹操は西のかた、馬超・韓遂を攻め、九月に関中(陝西)を平定し、冬十月長安より北のかた、安定(甘粛東部)に楊秋を包囲し、敵を投降せしめた。この西征に曹植が従軍したことは、彼の「離思賦」の序にも見える。
曹操は、安定の楊秋を降伏させ、夏侯淵を長安に駐留させた。『三国志』(魏書・武帝紀)
この年、益州の劉璋が法正の意見を容れ、劉備を益州に迎え入れる。
贈丁儀王粲
從軍度函谷,驅馬過西京。
我々は、馬超ら関中西域を支配するものを討伐する為軍に従って函谷関をこえた。さらに戎馬を馳せて西京長安制覇しこれを通りすぎ隴西の楊秋討伐に向かうのである。
山峰高無極,涇渭揚濁清。
あたりにはけわしい山岳がそびえたっている。渭水を昇っていくと涇水合流地点では、それぞれ涇水は濁った水しぶきがあがり、渭水は清らかな水しぶきをあげている。
壯哉帝王居,佳麗殊百城。
そこにそそり立つ我が帝王の居城は結構壮大なものである。まことに帝王の居城たるにふさわしく、その立派さも、天下の百城の中で比べ物にならないし、また他の多くの町とは、その類を異にしている。
員闕出浮雲,承露概泰清。
円闕とよばれる楼門は、高く浮雲のうえにそびえたち、承露盤は天空にとどかんばかりである。
#2
皇佐揚天惠,四海無交兵。權家雖愛勝,全國為令名。
君子在末位,不能歌德聲。丁生怨在朝,王子歡自營。
歡怨非貞則,中和誠可經。
又丁儀・玉条に贈る
軍に従いて函谷を度り、馬を駆りて西京を過ぐ。
山岑 高くして極り無く、涇・渭 濁と清とを揚ぐ。
壮んなる哉 帝王の居、佳麗なること百城に殊なり。
員闕は浮雲より出で、承露は泰清に概る。
#2
皇佐は天恵を揚げ、四海には兵を交うる無し。
権家は勝を愛すと維ども、国を全うするを令名と為す。
君子は末位に在れば、徳声を歌うこと能わじ。
丁生は怨みて朝に在り、王子は歓びて自ら営む。
歓と怨とは貞則に非ず、中和をば誠に経とす可し。
『贈丁儀王粲』 現代語訳と訳註
(本文)又贈丁儀王粲
從軍度函谷,驅馬過西京。山峰高無極,涇渭揚濁清。
壯哉帝王居,佳麗殊百城。員闕出浮雲,承露概泰清。
(下し文)
丁儀・玉条に贈る
軍に従いて函谷を度り、馬を駆りて西京を過ぐ。
山岑 高くして極り無く、涇・渭 濁と清とを揚ぐ。
壮んなる哉 帝王の居、佳麗なること百城に殊なり。
員闕は浮雲より出で、承露は泰清に概る。
(現代語訳)
我々は、馬超ら関中西域を支配するものを討伐する為軍に従って函谷関をこえた。さらに戎馬を馳せて西京長安制覇しこれを通りすぎ隴西の楊秋討伐に向かうのである。
あたりにはけわしい山岳がそびえたっている。渭水を昇っていくと涇水合流地点では、それぞれ涇水は濁った水しぶきがあがり、渭水は清らかな水しぶきをあげている。
そこにそそり立つ我が帝王の居城は結構壮大なものである。まことに帝王の居城たるにふさわしく、その立派さも、天下の百城の中で比べ物にならないし、また他の多くの町とは、その類を異にしている。
円闕とよばれる楼門は、高く浮雲のうえにそびえたち、承露盤は天空にとどかんばかりである。
(訳注)
贈丁儀王粲
○丁儀 (未詳―220年)字は正札、沛郡(安徴、宿県の西北)の人。曹植の最も親しい側近の一人で、曹植を帝位につけようと種々画策したため、兄の曹丕に忌まれ、曹丕が帝位につくや殺された。
○王粲 (177-217年)字は仲宜、山陽高平(山東、金郷県西北)の人。《建安七子》の一人。劉柏(171-217年)とともに、曹植につぐ建安文学の担い手で、悲愴憂愁に富む作品が多い。
從軍度函谷,驅馬過西京。
我々は、馬超ら関中西域を支配するものを討伐する為軍に従って函谷関をこえた。さらに戎馬を馳せて西京長安制覇しこれを通りすぎ隴西の楊秋討伐に向かうのである。
〇度函谷 函谷関は河南省鉄門県の東北にある。そこを通ったとは、前述の馬超・韓遂征伐をさす。潼関から下流約70キロメートルの地点、南北から山脈が迫る峡谷の地(北緯34度38分19.23秒東経110度55分16.59
○過西京 西京は長安のことで東京は洛陽。そこをすぎたとは、前述の楊秋討伐を言う。
山峰高無極,涇渭揚濁清。
あたりにはけわしい山岳がそびえたっている。渭水を昇っていくと涇水合流地点では、それぞれ涇水は濁った水しぶきがあがり、渭水は清らかな水しぶきをあげている。
○山峰 山岑のテキストもあり、河川両翼の峻険なる山をいう。
○渭水と涇水。ともに甘粛より流れ、陝西で合流(地図のG3)し、黄河にそそぐ。涇水は濁り、渭水は澄んでいる。
後世中唐の孟郊は『罪松』「涇流合渭流,清濁各自持。」
“涇水の流れは、黄土を流して南流して、西から清く澄みきった水をたたえて東流する渭水の流れに合流する。清濁各々自らの特徴をもっている。”とうたっている。また、『詩経豳風』『詩経、大雅、公劉篇』、でその地域を詠っている。周の部族が、豳に住むようになったのは、に大王九世の祖公劉のときからである。豳は長安の北、黄河支流渭水の支流涇水の流域で岐山を南に控えた高原地帯である。公劉のときから古公亶父まで数百年そこに住んだ、農耕部族である。『詩経、豳風』にその生活の様子を歌ものである。
壯哉帝王居,佳麗殊百城。
そこにそそり立つ我が帝王の居城は結構壮大なものである。まことに帝王の居城たるにふさわしく、その立派さも、天下の百城の中で比べ物にならないし、また他の多くの町とは、その類を異にしている。
員闕出浮雲,承露概泰清。
円闕とよばれる楼門は、高く浮雲のうえにそびえたち、承露盤は天空にとどかんばかりである。
・円闕 員は圓に同じ。建章宮の宮門の北に円関が造られ、高さ二十五丈、上に銅鳳台とある。闕とは楼門である。
・承露 承露盤のこと。上天の柄をうけるべく空中高く作られた大きな皿。
贈丁儀王粲
從軍度函谷,驅馬過西京。
我々は、馬超ら関中西域を支配するものを討伐する為軍に従って函谷関をこえた。さらに戎馬を馳せて西京長安制覇しこれを通りすぎ隴西の楊秋討伐に向かうのである。
山峰高無極,涇渭揚濁清。
あたりにはけわしい山岳がそびえたっている。渭水を昇っていくと涇水合流地点では、それぞれ涇水は濁った水しぶきがあがり、渭水は清らかな水しぶきをあげている。
壯哉帝王居,佳麗殊百城。
そこにそそり立つ我が帝王の居城は結構壮大なものである。まことに帝王の居城たるにふさわしく、その立派さも、天下の百城の中で比べ物にならないし、また他の多くの町とは、その類を異にしている。
員闕出浮雲,承露概泰清。
円闕とよばれる楼門は、高く浮雲のうえにそびえたち、承露盤は天空にとどかんばかりである。
#2
皇佐揚天惠,四海無交兵。
今や丞相は天子の恩沢をその手にうけられ発揚せられる。そして天下の隅々まで兵を起して刃向うことはできないのである。
權家雖愛勝,全國為令名。
職業軍人らというものは敵を軍事行為で打ち破って勝利を収めることを冥利としている。しかし肝心なことは敵国を降参させて、その敵国土をそっくり手に入れてこそ、名誉にかがやくというものである。
君子在末位,不能歌德聲。
丁儀君、王粲、君たちは位が低いということでふまんをもつ。だから、天子の恩徳、丞相の威光・威徳をたたえる歌を作りたいのにつくることができないのだ。
丁生怨在朝,王子歡自營。
しかし、丁君は官位が低いのを恨んで、恨みがましく朝廷に仕えているのであり、王君は官途には初めから興味をもたず、自分の興味を追求するのにうつつをぬかしているとのは、どうも感心できないことだ。(君たちの力量は理解しているよ。)
歡怨非貞則,中和誠可經。
君たちのように喜怒哀楽を表に出すことは「礼記」中庸にいうように原理にてらしてよくないのであり、「中和を致す」中庸の道こそ、誠に永遠の法則となすべきものといわれていることなのだ。
丁儀・玉条に贈る
軍に従いて函谷を度り、馬を駆りて西京を過ぐ。
山岑 高くして極り無く、涇・渭 濁と清とを揚ぐ。
壮んなる哉 帝王の居、佳麗なること百城に殊なり。
員闕は浮雲より出で、承露は泰清に概る。
皇佐は天恵を揚げ、四海には兵を交うる無し。
権家は勝を愛すと維ども、国を全うするを令名と為す。
君子は末位に在れば、徳声を歌うこと能わじ。
丁生は怨みて朝に在り、王子は歓びて自ら営む。
歓と怨とは貞則に非ず、中和をば誠に経とす可し。
『贈丁儀王粲』 現代語訳と訳註
(本文) 贈丁儀王粲#2
皇佐揚天惠,四海無交兵。權家雖愛勝,全國為令名。
君子在末位,不能歌德聲。丁生怨在朝,王子歡自營。
歡怨非貞則,中和誠可經。
(下し文)
皇佐は天恵を揚げ、四海には兵を交うる無し。
権家は勝を愛すと維ども、国を全うするを令名と為す。
君子は末位に在れば、徳声を歌うこと能わじ。
丁生は怨みて朝に在り、王子は歓びて自ら営む。
歓と怨とは貞則に非ず、中和をば誠に経とす可し。
(現代語訳)
今や丞相は天子の恩沢をその手にうけられ発揚せられる。そして天下の隅々まで兵を起して刃向うことはできないのである。
職業軍人らというものは敵を軍事行為で打ち破って勝利を収めることを冥利としている。しかし肝心なことは敵国を降参させて、その敵国土をそっくり手に入れてこそ、名誉にかがやくというものである。
丁儀君、王粲、君たちは位が低いということでふまんをもつ。だから、天子の恩徳、丞相の威光・威徳をたたえる歌を作りたいのにつくることができないのだ。
しかし、丁君は官位が低いのを恨んで、恨みがましく朝廷に仕えているのであり、王君は官途には初めから興味をもたず、自分の興味を追求するのにうつつをぬかしているとのは、どうも感心できないことだ。(君たちの力量は理解しているよ。)
君たちのように喜怒哀楽を表に出すことは「礼記」中庸にいうように原理にてらしてよくないのであり、「中和を致す」中庸の道こそ、誠に永遠の法則となすべきものといわれていることなのだ。
(訳注)
○丁儀 (未詳―220年)字は正札、沛郡(安徴、宿県の西北)の人。曹植の最も親しい側近の一人で、曹植を帝位につけようと種々画策したため、兄の曹丕に忌まれ、曹丕が帝位につくや殺された。
○王粲 (177-217年)字は仲宜、山陽高平(山東、金郷県西北)の人。《建安七子》の一人。劉柏(171-217年)とともに、曹植につぐ建安文学の担い手で、悲愴憂愁に富む作品が多い。
#2
皇佐揚天惠,四海無交兵。
今や丞相は天子の恩沢をその手にうけられ発揚せられる。そして天下の隅々まで兵を起して刃向うことはできないのである。
○皇佐 曹操を言。皇帝を輔佐する地位の人、時に曹操は丞相であった。
○天恵 天が人に与える恵み。皇帝の恩恵。
權家雖愛勝,全國為令名。
職業軍人らというものは敵を軍事行為で打ち破って勝利を収めることを冥利としている。しかし肝心なことは敵国を降参させて、その敵国土をそっくり手に入れてこそ、名誉にかがやくというものである。
○權家 兵家。軍属の家系のものいう
○全国 敵国を降伏せしめて、国土をそのまま手に入れること。「孫子」謀政策に「凡用兵之法,全國為上,破國次之」(凡そ兵を用うるの法は、国を全うするを上となし、国を破るはこれに次ぐ。)と見える。
孫子曰、凡用兵之法、全國為上、破國次之、全軍為上、破軍次之、全旅為上、破旅次之、全卒為上、破卒次之、全伍為上、破伍次之、是故百戦百勝・・・・・
君子在末位,不能歌德聲。
丁儀君、王粲、君たちは位が低いということでふまんをもつ。だから、天子の恩徳、丞相の威光・威徳をたたえる歌を作りたいのにつくることができないのだ。
○君子 丁儀・王粲をさす。
○末位 建安十六年頃の丁儀・王粲は、ともに丞相の掾(丞相の幕僚)であった。
○徳声 君主の道徳の高きほまれをたたえる歌。
丁生怨在朝,王子歡自營。
しかし、丁君は官位が低いのを恨んで、恨みがましく朝廷に仕えているのであり、王君は官途には初めから興味をもたず、自分の興味を追求するのにうつつをぬかしているとのは、どうも感心できないことだ。(君たちの力量は理解しているよ。)
○丁生怨在朝 曹植はこの二人を下級官僚ではなくてもっと登用すべきと考えていることを前提にしていることでこの句を解釈する。自己の官位が低いのを恨んで、恨みがましく朝廷に仕えているということになる。丁儀の『厲志賦』「疾青蠅之染白,悲小弁之靡托。」においても官途に不満を持つもので一致する。
○王子歡自營 王粲は詩人としての意識が強く王粲は官途には初めから興味をもたず、自分の興味を追求するのにうつつをぬかしているとの意となる。この場合、「芸文類衆」巻五十七に引く玉条の「七釈」の節に「今、子深く共の身を蔵し、高く其の志を栖まわす。外に営むところなく、内に事すところなし。」という。
歡怨非貞則,中和誠可經。
君たちのように喜怒哀楽を表に出すことは「礼記」中庸にいうように原理にてらしてよくないのであり、「中和を致す」中庸の道こそ、誠に永遠の法則となすべきものといわれていることなのだ。
○貞則 正しい原理。貞は正、則は法である。
○中和 「礼記」中庸にいう「喜怒哀樂之未發。謂之中。發而皆中節。謂之和。中也者天下之大本也。和也者天下之達道也。致中和。天地位焉。萬物育焉。」(喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という。発して皆節に中る、これを和という。中なるものは天下の大本なり。和なるものは天下の達道なり。中和を致せば天地位り、万物育つ。」と。普遍妥当で最も正しいことの意。
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