60 曹植(曹子建) 《責躬詩》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3226
- 2013/11/01
- 00:34
60 曹植(曹子建) 《責躬詩》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3226 |
曹植 《責躬詩》 魏詩
作者はかつて楊脩・應楊らと共に酒を飲んで、酔うた上に馬を司禁門に走らせたことがあった。兄文帝は即位の後これをとがめて鄄城侯(山東濮県東)に封じた。時に黄初三年(221)作者三十一歳の夏である。翌年洛陽に朝して、帝にまみえようとしたが許されず、西館に留め置かれた。この時「責躬詩」と「応詔詩」との二首をたてまつった。前者は己の非を責めて天子に拝謁を願う詩、後者は天子の詔を拝して上京入朝することを叙べた詩である。
四六駢儷体の文 『上責躬應詔詩表』が#1~#7あり、
上責躬應詔詩表 曹植 魏詩<74>文選 上 献詩 747 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2283
そしてこの詩『責躬詩』があり、#1~#12と掲載する。
責躬
於穆顯考,時惟武皇。受命於天,寧濟四方。
朱旗所拂,九土披攘。玄化滂流,荒服來王。
超商越周,與唐比蹤。篤生我皇,奕世載聰。
武則肅烈,文則時雍。受禪於漢,君臨萬邦。
萬邦既化,率由舊章。廣命懿親,以藩王國。
帝曰爾侯,君茲青土。奄有海濱,方周於魯。
車服有輝,旗章有敘。濟濟俊?,我弼我輔。
伊爾小子,恃寵驕盈。舉掛時網,動亂國經。
作藩作屏,先軌是墮。傲我皇使,犯我朝儀。
國有典刑,我削我黜。將寘於理,元兇是率。
明明天子,時惟篤類。不忍我刑,暴之朝肆。
違彼執憲,哀予小子。改封兗邑,於河之濱。
股肱弗置,有君無臣。荒淫之闕,誰弼余身。
煢煢僕夫,於彼冀方。嗟予小子,乃罹斯殃。
赫赫天子,恩不遺物。冠我玄冕,要我朱紱。
光光大使,我榮我華。剖符授玉,王爵是加。
仰齒金璽,俯執聖策。皇恩過隆,祗承怵惕。
咨我小子,頑凶是嬰。逝慚陵墓,存愧闕庭。
匪敢傲德,實恩是恃。威靈改加,足以沒齒。
昊天罔極,生命不圖。常懼顛沛,抱罪黃壚。
願蒙矢石,建旗東嶽。庶立毫釐,微功自贖。
危軀授命,知足免戾。甘赴江湘,奮戈吳越。
天啟其衷,得會京畿。遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。天高聽卑,皇肯照微。
責躬
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文) 責躬
於穆顯考,時惟武皇。受命於天,寧濟四方。
朱旗所拂,九土披攘。玄化滂流,荒服來王。
(下し文)
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
(現代語訳)
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した。
(訳注)
責躬詩
曹植自身の非を責めて天子に拝謁を願う詩。
詩がうますぎて心が伝わらないのが曹植の欠点であろう。
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先考武帝(曹操)である。
〇於穆 於は歎辞、穆は美、又探遠のさま。
〇顯考 光明の徳ある父の武帝曹操を指す。
○武皇 魏の武帝。
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
〇朱旗 漢は火徳をもって王となる。故にその旗は赤い。曹操は漢を助けて赤旗を用いる。
〇九土 五行思想で中國全土を九州に分った。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した。
〇玄化 玄は道。道徳の変革。
〇荒服 中國九州の外の最も遠く隔たった地。王畿を去る二千里より二千五百里に至るの地。五服(匈服・侯服・綏服・要服・荒服、毎服五百里ずつ順次荒服に及ぶ)中最も僻遠の地。ご‐ふく【五服】①中国古代に、京畿を中心として、その周囲500里ごとに分けた五つの地域。近くから順に甸(でん)服・侯服・綏(すい)服・要服・荒服。
②中国の五等の喪服。斬衰(ざんさい)・斉衰(しさい)・大功・小功・緦麻(しま)。父の場合は斬衰を3年、母の場合は斉衰を3年着用するなどの別がある。③中国古代の五等の制服。天子(王)・諸侯(公)・卿・大夫・士の服装。
責躬
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦既化,率由舊章。廣命懿親,以藩王國。
帝曰爾侯,君茲青土。奄有海濱,方周於魯。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文) #2
超商越周,與唐比蹤。篤生我皇,奕世載聰。
武則肅烈,文則時雍。受禪於漢,君臨萬邦。
(下し文)#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
(現代語訳)
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
(訳注) #2
責躬詩
曹植自身の非を責めて天子に拝謁を願う詩。
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
○超商越周 殷の湯王や周の武王。
〇与唐比躍 股周は放伐をもって天下を取り、磨虞は禅譲による。魂は漠の禅を受けたので、唐に比すといった。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
〇我皇 文帝曹丕を指す。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
〇雍 和やかな.雍容 [形]《書》おうような,おっとりした雍容。
受禪於漢,君臨萬邦。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
○禪 禅譲。天子(ほとんどの場合、皇帝)が、その地位を血縁者でない有徳の人物に譲ることである。実際には、歴史上禅譲と称していても譲られる側が強制して行われていることが多い。
○君臨 ①主君として国家を統治すること。 ②ある分野で、強大な力を持って他を支配すること。
責躬詩 於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。
広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文) #3
萬邦既化,率由舊章。廣命懿親,以藩王國。
帝曰爾侯,君茲青土。奄有海濱,方周於魯。
(下し文)#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。
(現代語訳)
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。
(訳注) #3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
○率由 前例からはずれないようにすること。
○舊章 古来の法制。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
〇懿親 親戚。懿はうるわしい、うつくしい、ほめたたえる、人情がこまやかで、素朴な美しさがあること醇美の意。徳川時代の譜代と外様、天領を中間に配置したのはよく似ている。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
〇青土 214年建安十九年 曹植臨菑【さい】侯に封ぜらる。臨菑は斉郡に属し、古の青州の地、故に青土といった。
奄有海濱,方周於魯。
広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。
〇奄有 おおいたもつ、残らず所領すること。
〇方周於魯 「周成王封伯禽於魯」周室が周公の子伯禽を魯に封じ、徐涯の夷を征伐したことに比す。
魯公(?~前1006?) 姓は姫、名は伯禽。在位?~前1006?。周公旦の子。魯に封ぜられておもむいた。魯の風俗を変え、礼法を改め、服喪三年を定めたという。淮夷・徐戎を討ち、魯を安定させた。
責躬
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3 萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。
広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。
#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。
その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文) #4
車服有輝,旗章有敘。濟濟俊乂,我弼我輔。
伊爾小子,恃寵驕盈。舉掛時網,動亂國經。
(下し文)#4
車服は輝き有り,旗章【きしょう】は敘【じょ】有り。
濟濟【せいせい】たる俊乂【しゅんがい】,我をば弼【たす】け我をば輔【たす】く。
伊【こ】れ爾【なんじ】小子,寵【ちょう】恃【たの】をんで驕盈【きょうえい】なり。
舉は時網【じもう】に掛り,動は國經を亂る。
(現代語訳)
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。
(訳注)#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
・車服 服は車を引く馬。4頭立ての馬車の中に挟まる2頭。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
〇済済俊乂 衆多の俊傑。
○弼・輔 弼:軍事的な補佐役。・輔:政治的な補佐役。文武それぞれの補佐をしてくれる。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
〇恃寵 君の恩寵にあまえて(をたのんで)。
〇驕盈 わがままな振る舞い.
舉掛時網,動亂國經。
その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。
〇時網 現時の法律。
〇動亂 挙動のみだれ。
〇國經 国の治める法則。国の経営。
#5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
將寘於理,元兇是率。
そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。
『責躬詩』 現代語訳と訳註 (本文) #5
作藩作屏,先軌是墮。傲我皇使,犯我朝儀。
國有典刑,我削我黜。將寘於理,元兇是率。
(下し文) #5
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。
(現代語訳)
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。
(訳注) #5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
〇先軌 先帝の法典。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
〇皇使 目付役の監国使の灌均のこと。221年黄初二年曹植国に就く。使者灌均奏して日く、「曹植酒に酔って使者をおびやかした」と。有司その罪を治めようと請うたが、帝は皇太后の意を憚って安郷侯に左遷した。「皇候に傲り朝儀を犯す」とはこれをいう。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
〇典刑 刑罰のこと
將寘於理,元兇是率。
そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。
〇理 治獄の官。
〇元凶 大罪人。
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。
広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。
#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。
その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。
#5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
將寘於理,元兇是率。
そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。
#6
明明天子,時惟篤類。
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
不忍我刑,暴之朝肆。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
違彼執憲,哀予小子。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
改封兗邑,於河之濱。
そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
明明天子,時惟篤類。不忍我刑,暴之朝肆。
違彼執憲,哀予小子。改封兗邑,於河之濱。
(下し文)
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。
(現代語訳)
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。
(訳注)#6
明明天子,時惟篤類。
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
○明明 ①非常に明るいさま。②はっきりしていて,疑わしいところのないさま。また,心にわだかまりのないさま。
○類 兄弟。
不忍我刑,暴之朝肆。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
○朝肆 古代から中世に、朝市で商品を並べた所。後の朝の見世棚にあたる。ここでは朝廷における、裁判。
違彼執憲,哀予小子。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
改封兗邑,於河之濱。
そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。
○兗邑 222年黄初三年改めて鄄城侯に封ぜらる。郡城は古の兗州の地(G・H―8・9)である。
#7
股肱弗置,有君無臣。
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
荒淫之闕,誰弼余身。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
煢煢僕夫,於彼冀方。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
嗟予小子,乃罹斯殃。
ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。
#4
車服は輝き有り,旗章【きしょう】は敘【じょ】有り。
濟濟【せいせい】たる俊乂【しゅんがい】,我をば弼【たす】け我をば輔【たす】く。
伊【こ】れ爾【なんじ】小子,寵【ちょう】恃【たの】をんで驕盈【きょうえい】なり。
舉は時網【じもう】に掛り,動は國經を亂る。
#5
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。
#6
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。
#7
股肱【ここう】置かず,君有れど臣無し。
荒淫【こういん】の闕【けつ】,誰か余が身を弼けん。
煢煢【けいけい】たる僕夫【ぼくふ】,彼の冀方【きほう】に於【ゆ】く。
嗟【ああ】予【われ】は小子にて,乃ち斯の殃【わざわい】に罹【かか】る。
『責躬詩』 現代語訳と訳註 (本文)#7
股肱弗置,有君無臣。荒淫之闕,誰弼余身。
煢煢僕夫,於彼冀方。嗟予小子,乃罹斯殃。
(下し文)
股肱【ここう】置かず,君有れど臣無し。
荒淫【こういん】の闕【けつ】,誰か余が身を弼けん。
煢煢【けいけい】たる僕夫【ぼくふ】,彼の冀方【きほう】に於【ゆ】く。
嗟【ああ】予【われ】は小子にて,乃ち斯の殃【わざわい】に罹【かか】る。
(現代語訳)
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。
(訳注)#7
股肱弗置,有君無臣。
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
○股肱弗置 弼と輔の臣下。 弼:軍事的な補佐役。・輔:政治的な補佐役。文武それぞれの補佐をしてくれることで配置する事。日本的に言えば、手足となって働いてくれる部下。
荒淫之闕,誰弼余身。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
○荒淫之闕 不品行、ふしだらの失態。
煢煢僕夫,於彼冀方。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
○煢煢 孤独のさま。
○冀方 唐堯の郡した所である。魏都は鄴に都し、鄴は冀州にあるから、鄴都を指すとするが、時に魏は洛陽をもって京師としていたのであるから、洛陽を鄴都に比して冀方といった。
嗟予小子,乃罹斯殃。
ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。
○殃 災い/禍/殃は①人に不幸をもたらす物事。また、その結果である不幸な出来事。災厄。災難。②不快であること。多く、感動表現に用いる。
#8
赫赫天子,恩不遺物。
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
冠我玄冕,要我朱紱。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
光光大使,我榮我華。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
剖符授玉,王爵是加。
符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。
#4
車服は輝き有り,旗章【きしょう】は敘【じょ】有り。
濟濟【せいせい】たる俊乂【しゅんがい】,我をば弼【たす】け我をば輔【たす】く。
伊【こ】れ爾【なんじ】小子,寵【ちょう】恃【たの】をんで驕盈【きょうえい】なり。
舉は時網【じもう】に掛り,動は國經を亂る。
#5
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。
#6
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。
#7
股肱【ここう】置かず,君有れど臣無し。
荒淫【こういん】の闕【けつ】,誰か余が身を弼けん。
煢煢【けいけい】たる僕夫【ぼくふ】,彼の冀方【きほう】に於【ゆ】く。
嗟【ああ】予【われ】は小子にて,乃ち斯の殃【わざわい】に罹【かか】る。
#8
赫赫【かくかく】たる天子あり,恩 物を遺【す】てず。
我に玄冕【げんべん】を冠せしめ,我に朱紱【しゅばつ】を要【こし】にせしむ。
光光たる大使あり,我をば榮し 我をば華す。
符を剖【さ】き 玉を授け,王爵【おうしゃく】を是に加う。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文) #8
赫赫天子,恩不遺物。冠我玄冕,要我朱紱。
光光大使,我榮我華。剖符授玉,王爵是加。
(下し文)#8
赫赫【かくかく】たる天子あり,恩 物を遺【す】てず。
我に玄冕【げんべん】を冠せしめ,我に朱紱【しゅばつ】を要【こし】にせしむ。
光光たる大使あり,我をば榮し 我をば華す。
符を剖【さ】き 玉を授け,王爵【おうしゃく】を是に加う。
(現代語訳)
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。
(訳注) #8
赫赫天子,恩不遺物。
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
○赫赫 ①赤赤と照り輝くさま。②功名・声望などがりっぱで目立つさま。
冠我玄冕,要我朱紱。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
○玄冕・朱紱 黒の冕冠、朱の印綬、共に諸侯の儀服。
光光大使,我榮我華。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
剖符授玉,王爵是加。
符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。
○剖符授玉 符を割き、玉を授けられること。
#8
赫赫天子,恩不遺物。
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。 冠我玄冕,要我朱紱。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
光光大使,我榮我華。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
剖符授玉,王爵是加。
符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。
#9
仰齒金璽,俯執聖策。
かくて仰いでほ黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
皇恩過隆,祗承怵惕。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。
咨我小子,頑凶是嬰。
ああ、不肖の私は誠に頑凶身にまとう罪深いものであります。
逝慚陵墓,存愧闕庭。
この上は死して、先帝の陵墓に漸じ、生きては陛下の朝廷に立つことを愧じいります。
仰いで金璽【きんじ】に齒【よわい】し,俯して聖策を執る。
皇恩は過隆【かりゅう】なり,祗【つつ】み承けて怵惕【じゅつてき】す。
咨【ああ】我 小子なり,頑凶 是れ嬰【めぐ】れり。
逝いては陵墓に慚じ,存しては闕庭【けつてい】に愧づ。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文) #9
仰齒金璽,俯執聖策。皇恩過隆,祗承怵惕。
咨我小子,頑凶是嬰。逝慚陵墓,存愧闕庭。
(下し文) #9
仰いで金璽【きんじ】に齒【よわい】し,俯して聖策を執る。
皇恩は過隆【かりゅう】なり,祗【つつ】み承けて怵惕【じゅつてき】す。
咨【ああ】我 小子なり,頑凶 是れ嬰【めぐ】れり。逝いては陵墓に慚じ,存しては闕庭【けつてい】に愧づ。
(現代語訳)
かくて仰いでは黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。
ああ、不肖の私は誠に頑凶身にまとう罪深いものであります。
この上は死して、先帝の陵墓に漸じ、生きては陛下の朝廷に立つことを愧じいります。
(訳注) #9
仰齒金璽,俯執聖策。
かくて仰いでは黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
・金璽 ①印章。天子をはじめとして諸侯、卿、太夫、士の印章。2 三種の神器の一。八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)。
・齒 ①は。「歯科・歯牙(しが)・歯齦(しぎん)/義歯・犬歯・皓歯(こうし)・切歯・乳歯・抜歯・門歯」②年齢。よわい。
・聖策 天子の封冊、王侯に封ずる詔書。
皇恩過隆,祗承怵惕。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。
・怵惕 おそれあやぶむこと。恐縮する。
咨我小子,頑凶是嬰。
ああ、不肖の私は誠に頑凶身にまとう罪深いものであります。
逝慚陵墓,存愧闕庭。
この上は死して、先帝の陵墓に漸じ、生きては陛下の朝廷に立つことを愧じいります。
・闕庭 御所のこと。文帝を指す。
#10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常懼顛沛,抱罪黃壚。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。 #11
願蒙矢石,建旗東嶽。庶立毫釐,微功自贖。
危軀授命,知足免戾。甘赴江湘,奮戈吳越。
#12
天啟其衷,得會京畿。遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。天高聽卑,皇肯照微。
『責躬詩』 曹植 現代語訳と訳註
(本文) #10
匪敢傲德,實恩是恃。
威靈改加,足以沒齒。
昊天罔極,生命不圖。
常懼顛沛,抱罪黃壚。
(下し文) #10
敢えて德に傲るに匪らず,實【まこと】に恩を是れ恃む。
威靈【いれい】改め加えて,以って齒【よわい】を沒るに足る。
昊天【こうてん】極り罔【な】く,生命圖られず。
常に顛沛【てんはい】して,罪を黃壚【こうろ】に抱んことを懼る。
(現代語訳)
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
(訳注) #10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
○威靈 威光と不思議な力や働きをもつ存在。万物に宿る精気。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
○昊天 ①夏の空。②広い空。大空。③天上の帝王の意。
○罔 ①鳥獣を捕える網。捕らえる。「罔罟(もうこ)」②(「誷(もう・ぼう)」と通用)しいる。あざむく。
常懼顛沛,抱罪黃壚。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
○顛沛 顛【たお】れること。死の意。
○黃壚 地の底、黄泉よみじ。墳墓をいう。
#10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常懼顛沛,抱罪黃壚。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
#10
敢えて德に傲るに匪らず,實【まこと】に恩を是れ恃む。
威靈【いれい】改め加えて,以って齒【よわい】を沒るに足る。
昊天【こうてん】極り罔【な】く,生命圖られず。
常に顛沛【てんはい】して,罪を黃壚【こうろ】に抱んことを懼る。
#11
願蒙矢石,建旗東嶽。
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
庶立毫釐,微功自贖。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
危軀授命,知足免戾。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
甘赴江湘,奮戈吳越。
進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。
願わくは矢石を蒙むり,東嶽に旗を建んことを。
庶【ねが】わくば毫釐【ごうり】を立て,微功【びこう】もて自ら贖【あがわな】わんことを。
軀を危くし命を授けば,戾【つみ】を免【まぬが】るるに足るを知る。
甘んじて江湘に赴き,戈を吳越に奮う。
#12
天啟其衷,得會京畿。遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。天高聽卑,皇肯照微。
『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文) #11
願蒙矢石,建旗東嶽。庶立毫釐,微功自贖。
危軀授命,知足免戾。甘赴江湘,奮戈吳越。
(下し文)
願わくは矢石を蒙むり,東嶽に旗を建んことを。
庶【ねが】わくば毫釐【ごうり】を立て,微功【びこう】もて自ら贖【あがわな】わんことを。
軀を危くし命を授けば,戾【つみ】を免【まぬが】るるに足るを知る。
甘んじて江湘に赴き,戈を吳越に奮う。
(現代語訳)
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。
(訳注) #11
願蒙矢石,建旗東嶽。
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
・東嶽 中国の五岳の一、泰山の別名。呉境東岳。
庶立毫釐,微功自贖。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
・毫釐 「毫」「釐」「厘」はともにわずかの意きわめてわずかなこと。ごうりん。―も他の可能性を許さない。
・微功 わずかながらも戦功。
危軀授命,知足免戾。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
甘赴江湘,奮戈吳越。
進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。
・江湘 長江下流域、洞庭湖以南の湘江。
#10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常懼顛沛,抱罪黃壚。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
#10
敢えて德に傲るに匪らず,實【まこと】に恩を是れ恃む。
威靈【いれい】改め加えて,以って齒【よわい】を沒るに足る。
昊天【こうてん】極り罔【な】く,生命圖られず。
常に顛沛【てんはい】して,罪を黃壚【こうろ】に抱んことを懼る。
#11
願蒙矢石,建旗東嶽。
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
庶立毫釐,微功自贖。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
危軀授命,知足免戾。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
甘赴江湘,奮戈吳越。
進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。
願わくは矢石を蒙むり,東嶽に旗を建んことを。
庶【ねが】わくば毫釐【ごうり】を立て,微功【びこう】もて自ら贖【あがわな】わんことを。
軀を危くし命を授けば,戾【つみ】を免【まぬが】るるに足るを知る。
甘んじて江湘に赴き,戈を吳越に奮う。
#12
天啟其衷,得會京畿。
幸いなことに陛下はその衷心を開き給われたことで、京畿で拝謁を得ることとなりました。
遲奉聖顏,如渴如飢。
聖天子に拜顏するのを待つことは、まさしく乾ききったものが水を求めるようなものであり、飢餓者が食を求めるごとく切でありました。
心之雲慕,愴矣其悲。
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。
天高聽卑,皇肯照微。
ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。
天 其の衷を啟【ひら】き,京畿に會するを得たり。
聖顏に奉ずるを遲【ま】つこと,渴するが如く飢うるが如し。
心の雲【ここ】に慕う,愴んで其れ悲しむ。
天高けれども卑きを聽く,皇 肯えて微を照らせれよ。
『責躬詩』 現代語訳と訳註 (本文) #12
天啟其衷,得會京畿。
遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。
天高聽卑,皇肯照微。
(下し文) #12
天 其の衷を啟【ひら】き,京畿に會するを得たり。
聖顏に奉ずるを遲【ま】つこと,渴するが如く飢うるが如し。
心の雲【ここ】に慕う,愴んで其れ悲しむ。
天高けれども卑きを聽く,皇 肯えて微を照らせれよ。
(現代語訳)
幸いなことに陛下はその衷心を開き給われたことで、京畿で拝謁を得ることとなりました。
聖天子に拜顏するのを待つことは、まさしく乾ききったものが水を求めるようなものであり、飢餓者が食を求めるごとく切でありました。
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。
ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。
(訳注) #12
天啟其衷,得會京畿。
幸いなことに陛下はその衷心を開き給われたことで、京畿で拝謁を得ることとなりました。
・衷心 心の奥底。まごころ。衷心。
遲奉聖顏,如渴如飢。
聖天子に拜顏するのを待つことは、まさしく乾ききったものが水を求めるようなものであり、飢餓者が食を求めるごとく切でありました。
・聖顏 聖天子に拜顏する。
心之雲慕,愴矣其悲。
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。
・雲 すぐれて高いさま。ここでは皇帝をさす。
・愴 悲しみに打ちひしがれる。「愴然/悽愴(せいそう)・悲愴」
天高聽卑,皇肯照微。
ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。
・微 わずかに見える忠誠心。謙譲語。
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