65 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3251
- 2013/11/06
- 00:30
65 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3251 |
建安文学
建安文学 (けんあんぶんがく) 後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。
有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。
擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。
皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。
#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。
『擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳』 現代語訳と訳註
(本文) 陳琳
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
董氏淪關西,袁家擁河北。
單民易周章,窘身就羈勒。
(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。
皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。
(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん) 未詳 - 217年 後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。
陳琳『飲馬長城窟行』
飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。
万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ
俺は監督の役人に言ってやった
「どうか太原から来ている人足を帰してやってください」
訴えを聞いた役人は「お上の仕事には工程が決められているのだ。文句を言わずに杵を取って声を合わせて働け」と言う
人足は「男たるもの戦いの中で死ぬならまだしも、なんでこんな長城を築くやるせない仕事で朽ち果てるのは嫌だ」と憤懣をもらす
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、字が本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
・衰 衰紹、字(あざな)は本初。霊帝の死後,宦官(かんがん)の専横を抑圧。皇帝の廃立を行なっ た董卓(とうたく)を洛陽(らくよう)から追放して,冀州(きしゆう)を中心に勢力を伸ばし, 山東の曹操(そうそう)と対立した。官渡(河南省)の戦いで敗れ病没。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
・屯邅 艱難辛苦。時運や国家の困難。・邅:ゆきなやむ。めぐりくる。
・氛慝 不善な気象。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
・淪 沈む。
單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
・周章 慣れて、あわてふためく。
・窘 くるしめる。
・羈勒 馬のおもがいと、くつばみと。
有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。
陳琳 (魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。
皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。
#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。
『擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳』 現代語訳と訳註
(本文) #2 豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。
(下し文) #2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
(現代語訳)
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
(訳注) #2
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん) 未詳 - 217年 後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
・相公 丞相であった曹操。
・定 平定する。
・蝥賊 乱賊である董卓と衰紹。
衰紹の家は四代続いて三公(太尉・司徒・司空)を輩出した名門である。衰紹白身も董卓が洛陽を占領した中平六年(一八九)にはすでに司隷校尉(整旨視総監)という要職にあった。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
・則 法則。一定の決まり。法律。制度。『詩経、大雅、烝民』「天生烝民、有物有則。」
餘生幸已多,矧乃值明德。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
・餘生幸已多 陳琳は、袁紹に仕えたとき、「袁紹のために豫州に儌す」なる文で曹操の罪状をかぞえたて、かつ、その祖先をも、ののしりはずかしめた。しかるに、陳琳が曹操に帰してのち、曹操は、陳琳を殺さなかった。
陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。
皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。
#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
#2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3 愛客不告疲,飲燕遺景刻。
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。
#3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。
『擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳』 現代語訳と訳註
(本文) #3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。
(下し文) #3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。
(現代語訳)
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。
(訳注) #3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
・景刻 「景」は日かげ。「刻」は時間。昼夜を一百刻となすという。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
・極/窮 二字とも、きわめる。ここは、至るの意。
・星闌 明けの明星が爛然と輝くことを云う。『詩経、鄭風、女日鷄鳴篇』に「士興きて夜を視よ、明星は爛たるあらん」という。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
・哀哇 はなはだ哀しいこと。「哇」は、気がふさがって伸びないこと。
且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。
・古來惑 古来からいわれる酒・色・財の三つの不惑。
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