67 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3261
- 2013/11/08
- 00:30
67 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3261 |
劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)
・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。
このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。
105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。
『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
貧居晏裏閈,少小長東平。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
廣川無逆流,招納廁羣英。
(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
・卓犖 すぐれて他からぬきんでていること。また 、そのさま。
・偏人 文才のある人。
・而文 ここに「文」とは、主としてかれの詩をさす。
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
・裏閈 貧しい村里。
・東平 斉國地方。山東省泰安市に位置する県。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
・河兗 斉河、兗州をいう。
・沖要 要衝。
・淪飄 戦乱がはげしくなること。波にただよう。
・薄 至る。
・許京 許都。獻帝は、洛陽から許州に遷ったので京といった。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
・広川無逆流 管子に「善く君たるものは。宜しく江海に法るべし。江海は細流を逆まず、故に百谷の長となる」。
劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)
・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。
このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。
105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。
『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註 (本文) 劉楨#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
(下し文) #2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
(現代語訳)
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
(訳注) #2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
・黎陽津 魏の主要の港である黎陽。
・紀郢城 劉表がいる楚の紀城や郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
・相解達 「解」は説。李善は「相談説して進達するなり」といい、李周翰も同じ。何燈は、それを非とし「古今治乱のことをLるので、親友らと互いに、響えを引いて話しあった」意とする。
・平生 古今治乱の事情について、かねてしる所の知識をさす。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
・矧荷 いわんや~をうける。それに加えて~をうける
・明哲顧 明智の太子の恩顧。
・知深 知己の恩の深く。王逸の晋書に「孔短日く、士は知遇の恩に死し、命をして軽からしむ」。
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。
『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨#3 朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
(下し文)#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。
(現代語訳)
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。
(訳注)#3
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
・牛羊下 詩経、王風、君子子役篇に「鷄は括に棲り、日は夕となる、羊牛下り括(か)る」という。
・括揭 「括揭」はとまり木にとまること。鶏のとまり木。「括」「揭」同じ。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
辰事既難諧,歡願如今並。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。
・羨 愛慕をねがう。
・粛粛 羽の声。 (1)しずかなさま。ひっそりとしているさま。 (2)おごそかなさま。曹植『棄婦篇』「歭躇還入房、肅肅帷幕聲。」とよくつかう。
・翰 長く堅い羽毛。
・繽紛 ひらひら飛ぶさま。
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- 太白集 391《太白巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7543 (03/26)
- 太白集 390《太白巻十六33 送長沙陳太守,二首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7538 (03/25)
- 李太白集 389《太白巻十六32 送長沙陳太守,二首之一》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7533 (03/24)
- 李太白集 388《太白巻十六26 送祝八之江東賦得浣紗石》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7528 (03/23)
- 李太白集 387《太白巻十六23-《送白利從金吾董將軍西征》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7523 (03/22)
- 李太白集 386《太白巻十六21 送族弟綰從軍安西》(漢家兵馬乘北風) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7508 (03/19)
- 李太白集 385《太白巻十六18-3-《送外甥鄭灌從軍,三首之三》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7503 (03/18)
- 李太白集 384《太白巻十六18-2 送外甥鄭灌從軍,三首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7498 (03/17)
- 李太白集 383《太白巻十六18-1 送外甥鄭灌從軍,三首之一》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7493 (03/16)
- 李太白集 382《太白巻十六13 送張遙之壽陽幕府》 (壽陽信天險,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7488 (03/15)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/14)
- 李太白集 381《太白巻十六10 送程劉二侍郎兼獨孤判官赴安西幕府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7483 (03/13)
- 李太白集 380《太白巻十六08 送竇司馬貶宜春》 (天馬白銀鞍,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7478 (03/12)
- 李太白集 379《太白巻十四34 贈別王山人歸布山》(王子析道論,) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7473 (03/11)
- 李太白集 378《太白巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》 (浮陽滅霽景) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7468 (03/10)
- 李太白集 377《太白巻巻十二05-《望終南山寄紫閣隱者》(出門見南山) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7463 (03/09)
- 李太白集 376《太白巻八36 贈盧徵君昆弟》 (明主訪賢逸) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7458 (03/08)
- 李太白集 375《太白巻八22 贈郭將軍》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7453 (03/07)
- 李太白集 374《太白巻六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》 (高堂粉壁圖蓬瀛) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7448 (03/06)
- 李太白集 373《太白巻六07 西嶽雲臺歌送丹丘子》 (西嶽崢嶸何壯哉) 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7443 (03/05)
- 李太白集 372《太白巻六05 玉壺吟》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7438 (03/04)
- 李太白集 371《太白巻卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7433 (03/03)
- 李太白集 370《太白巻五 24-秋思》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7428 (03/02)