68 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3266
- 2013/11/09
- 00:27
68 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3266 |
106 應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。> 嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。>
嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。
『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。>
嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。
〇汝穎 汝水(現在の汝河。河南省に発し淮河に注ぐ。)穎水(河南省嵩山南麓を流れる河で、淮河の主要な川である。)「穎水に耳を洗う」という許由の故事がある。
〇飄薄 さすらい。「薄」は迫。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
〇翮 羽の茎。
〇委羽 委羽山。委羽山. イウサン. 中国神話の山で、はるか北の果てにあり、永遠に日が差さないとされた山。羽山のことだともいわれる。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
〇弱水 崑崙山の東に在るという神話上の川の名。中国東北部にある、松花江ともいわれている。
顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
〇梁川 戦国時代の魏は、大梁にうつったので、「梁」ともいう。
106 應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
天下昔未定,托身早得所。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。>
嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。
『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
(下し文) #2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
(現代語訳)
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
〇淪薄 淪①. 隠れ沈む・こと(さま)。 ②. 世をのがれて隠れること。薄 いきつくこと。ここでは落ちぶれ果て行き着くところまで行ったという意味。
天下昔未定,托身早得所。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
〇昔未定 過去のおちぶれて、まだ定まらなかった時のことを言ったものである。
〇早得所 身を託する所を得たこと。曹操に託するを得たことをいう。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
〇官度 後漢末期の200年に官渡(現在の河南省中牟の近く)に於いて曹操と袁紹との間で行われた戦い。
〇烏林 呉の孫権の将なる周瑜は、劉備の軍と連合して、赤壁より烏林にわたる戦に、曹操の軍を破る。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
〇晩節 晩年。ここは、そののち晩年まで、とでも解す。
〇眾賢 建安の三曹七賢。
〇庇 おおう。護りたすける。
〇天宇 曹操から、曹丕に仕えることが出来たことを云う。
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。>
嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。
『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註 (本文) #3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
(下し文)
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。
(現代語訳)
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。
(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
〇榱 たるき。屋根を支えるため、棟から軒先に渡す長い木材。はえき。たりき。たるきがた【垂木形】屋根のつまに、垂木と平行に取り付ける板。たるきだけ【垂木竹】竹で作った垂木。また、それに用いる竹。かやぶきの屋根など.
始奏延露曲,繼以闌夕語。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
〇延露曲 李善は、港南子の「表れ采菱を歌ひ、陽阿を発するも、都人は之を聴けば、延露の以て和せるに若(し)かず」を引く。現行本の港南子、人間訓には、「此の延路・陽局に若かず」とある。延路と陽局とは、都歌曲のこと。
〇聞夕 夜おそいこと。「聞」は、おそい。尽きる。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
〇慚沮 「沮」は、勢いがなくなる、沮喪。酬答することを止める。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。
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