69 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3271
- 2013/11/10
- 00:30
69 謝靈運(謝康楽) 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3271 |
建安文学の文学者
有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。"
阮瑀(?~212)
字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。
建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、
107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。
#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。
#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。
『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註 (本文)
管書記之任,有優渥之言。
(下し文)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。
(現代語訳)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
(訳注)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
建安文学 (けんあんぶんがく) 後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。
1)孔 融 (こう ゆう) 153年 - 208年 後漢末期の人。字は文挙。孔子20世の孫に当たる。出身地も遠祖の孔子と同じく青州魯国の曲阜県である。父は孔宙、兄は孔襃。子の名は不詳。
2)陳 琳(ちん りん) ? - 217年 後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。 飲馬長城窟行 易公孫瓚與子書
3)王 粲(おう さん) 177年 - 217年 、)は、中国、後漢末の文学者・学者・政治家。字は仲宣。王龔の曾孫、王暢の孫、王謙の子。王凱の従兄弟。子に男子二名。山陽郡高平県(現山東省)の人。曽祖父の王龔、祖父の王暢は漢王朝において三公を務めた。文人として名を残し、建安の七子の一人に数えられる。 登樓賦 公讌詩 詠史詩 七哀詩三首 從軍詩五首
4)徐幹 (とかん) ? - 217年
北海郡劇県の出身。字は偉長。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『詩品』では下品に分類される。
5)応瑒 (おうとう) ?~217 字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。建安七子のひとり。
6)劉 楨 (りゅう てい) ? - 217年
後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。" 贈従弟三首
7)阮瑀 (げんう) ?~212 陳留尉氏の出身。字は元瑜。蔡邕に就いて学問を修め、曹洪の招聘を拒否して鞭打たれたこともあったが、建安初年に曹操の司空軍謀祭酒・記室となった。章表書記において陳琳と双璧と謳われたが若くして病死し、殊に曹丕に惜しまれたという。『詩品』では下品に位する。
王琰(おうえん) 177~217 後漢から魏(ぎ)にかけての文人。高平(山東省)の人。字(あざな)は仲宣。博覧多識で知られる。詩賦に長じ、建安七子の一人。「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」など。 「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」
107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。 #3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。
#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。
#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。
『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
(本文) #2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
(下し文)#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。
(現代語訳)
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
(訳注)#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
〇河洲の句 黄河のほとり、沙吹雪のようすを云う。袁紹と黄河を対峙してのようすが浮かんでくる。大軍移動での砂塵が舞う。謝靈運『緩歌行』「飛客結靈友,凌空萃丹丘,習習和風起,采采彤雲浮,娥皇發湘浦,霄明出河洲,宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。」
〇風悲の句 秋の足の長い風を云う。「風悲とは、風急にして悲しきこと。黄雲とは、黄河流域の挨塵の色の黄なるものが雲のように湧き上がることを云う。といい、淮南子には「黄泉の浜は上りて黄雲となる」とある。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
〇金羈 帝は、馬のおもがい。それを一部の金を使い輝いている、りつぱな飾りつきのものであるため「金」字を加えた。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
〇攀多士 多士にすがりつく。謙遜語で多くの兵と同様にたよりにされた、あるいは恵みを受けたという意味。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
〇南皮 曹盃の「異質に与ふる書」にも、「昔日の南皮の道を念ふ毎に、誠に忘るべからず」という。
阮瑀(?~212)
字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。
建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、
107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。
#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。
#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。
『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
(本文) #3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。
(下し文) #3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。
(現代語訳)
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。
(訳注) #3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
〇河曲 黄河のほとり。曲は蛇行する川の隈になったところを云う。淵で舟遊びを愉しめるところ。曹丕の「呉質に与ふる書」にも、「時に駕して遊び、北のかた河曲に遵ふ。従者は茄を鳴らして以て路を啓き、文学は後事に託粟す」という。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
〇躧步陵丹梯 春秋時代の晋の政治家、将軍。紀元前592年の春に郤克は、斉に断道(山西省)で行われる諸侯会議への参加を求めるために外交の使者として赴いたが、斉(頃公)とその母の蕭同叔子に自分の怪異な風貌を笑われるという大恥辱を受けてしまう。
謝霊運の「永初三年七月十六日之郡初発」(永初三年七月十六日、都に之かんとして、初めて郡を発す」(翌にも見えた。ここでは、不具者の如く拙いわが身、の意。山水詩人、謝霊運 永初三年七月十六日之郡初発都 詩集 370
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
〇哀弄 「弄」は、小曲、音楽のしらべ。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
〇酤 一夜づくりの酒。販売するための酒。
〇芳醑 貴重な香のたかい美酒。
〇酌言 詩経、小雅、瓠葉篇に「幡幡瓠葉、采之亨之。 君子有酒、酌言嘗之。」(幡幡たる瓠葉、之を采り之を亨る。 君子酒あり。酌みて言【ここ】に之を嘗む。。」主従関係のよいことをあらわす語句である。
自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。
〇食蓱 詩経、小雅、鹿鳴篇に「呦呦鹿鳴、食野之苹。我有嘉賓、鼓瑟吹笙。 吹笙鼓簧、承筐是將。人之好我、示我周行。」呦呦として鹿鳴き、野の苹を食(は)む。我に嘉賓あり、瑟を鼓し笠を吹く」と見え、その詩の序には、群臣嘉賓を燕するものという。「苹」は大萍、よもぎの類いで、陸生と水生がある。
〇今日美 このころの宴游は、昼は外で、夜は内で、ひきつづいておこなうことが多い。昼に、河曲の遊びをして、夜は室内或はそれに準じた場所。日々初めてということは毎日経験していない宴席であったということである。
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