78魏武帝(曹操) 《蒿里行》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3316
- 2013/11/19
- 00:29
78魏武帝(曹操) 《蒿里行》 魏詩 | kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3316 |
蒿里行-#1
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。

淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。
嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。
『蒿里行』 現代語訳と訳註
(本文) 蒿里行-#1
關東有義士,興兵討群凶。
初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
(下し文)
嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
(現代語訳)
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
(訳注)
蒿里行-#1
・蒿里行 蒿里もまた漢代の挽歌である。
蒿里曲
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
前篇を承けて、また漢未の乱をいたむ詩である。
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
・義士 袁紹を指す。賊徒董卓を伐つの盟主であるからその段階のことでこのようにいった。
・羣凶 董卓・呂布・李傕・郭汜の屬。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
・初期會盟津・乃心在咸陽 盟津は洛陽東北の地名。この句は書経の泰誓にみえる。「惟十有三年春、大に孟津に会す」の語をふまえて、武王の紂王を伐った時とは反対に諸軍を盟津に会しながら、洛陽の董卓の軍に向わずして、咸陽に天子を擁立しょうとしたことをいう。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
・雁行 雁が泣び飛ぶよう斜めに相次いで行くこと。ここは敵軍を追撃すること緩くして敢えて先を争わぬこと。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
・勢利使人爭 袁紹・袁術・孫堅など、互いに勢力を争ったことをいう。
蒿里行-#1
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
白骨露於野,千里無雞鳴。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
生民百遺一,念之斷人腸。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。
嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。
『蒿里行』 現代語訳と訳註
(本文) #2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。
(下し文)#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。
(現代語訳)
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。
(訳注)#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
・淮南弟 袁紹の従弟袁術は揚州刺史を殺してその州を領していた。
・刻璽於北方 袁術が孫堅の伝えた国璽を奪って北方寿春に帝号を僭したこと。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
・蟣虱 蟣・虱、共に、しらみをいう。
白骨露於野,千里無雞鳴。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
・無難鳴 人家のないこと。
生民百遺一,念之斷人腸。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。
嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。
蒿里行-#1
關東有義士,興兵討群凶。
初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
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