79魏武帝(曹操) 《苦寒行》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3321
- 2013/11/20
- 00:40
魏武帝(曹操) 《苦寒行》 魏詩 袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。 大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
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苦寒行 曹操 漢詩
200年官渡の戦いで袁紹軍を破る。
202年袁紹病没。
206年、建安11年 甄后は曹叡(明帝)を生む。
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩『苦寒行』。この遠征は残党狩りであった。
「三国志演義」にの遠征はまったくふれられていないし、この詩も出ていないてんから、曹操の実体験のものではなく創作であろう。
苦寒行
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。
『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文)
北上太行山,艱哉何巍巍!
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
(下し文)
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
(現代語訳)
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
(訳注)
苦寒行
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩とされる。態勢が決まっている闘いなので曹操が直接軍を率いてこの詩を作ったのではなく、こんな辛苦をした戰であったろうと功勲をもって戻ってきたものを讃えるものであった。
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
・北上 中原から北に向かって攻め上ること。この時の模様を後世の李白『北上行』がある。 北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」
北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。
馬は 突き出た石に足をとられたりしたし、車輪が 岡を越えようとして砕け散ったりする。
石の多い急な坂道は平坦だったり、曲がりくねって険しく、切り立った険しいがけ岩山が 天空にそそり立っている。
叛乱軍の巻き起こす砂塵は 幽州から起こったのだ、戦火、烽火は西の方から、この場所から北の方まで連なっている。
叛乱軍の横暴は殺気をはびこらせている。それは 剣戟よりも人を恐怖に陥らせ、傷つけているのだ。そこに吹きすさぶ北風は、衣装を引き裂いて吹くほど厳しいものである。
暴れまわる、狂った鯨であるかのように安史軍は 黄河を越え、悪獣の牙の安禄山は 洛陽に居座って皇帝と称している。
人々は、ただ、北へ逃げるだけで いつになったら帰れるのかわかりはしない、厳しい北風の中人々は、振りかえって 戦のなかったころの故郷を思うのである。
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか
北上行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303
北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304
・太行山 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。
・何ぞ~たる強調。
・巍巍 けわしいさま。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
・羊腸坂 高幹の占拠する大原晋陽の北に在る。やつ坂の名。羊の腸のように屈曲しているので名づけた。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
・北風 強い寒気による冬の風は吹き足が長く悲鳴のように吹き付ける。零下三、四十度の強い風を云う。
・蕭瑟 寂しい感じ。ものさびしく風の吹くさま。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
・熊羆 熊やヒグマ。
・虎豹 虎や豹。
苦寒行
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。
『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文) #2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
(下し文) #2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
(現代語訳)
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
(訳注)
・太行 太行山脈山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
・溪谷 石佛谷:河北贊皇縣,有世界最大的天然迴音壁。五台山は文殊菩薩、峨眉山は普賢菩薩、九華山はお地蔵様、普陀山は観音様の住む聖地とされている。
五台山の五台とは5つの平らな峰という意味で、平均海抜は1000m以上あり、風が強く、背の高い木は育っていない。道も険しく、五月でも綿入れの上着を着るほど寒いところ。また、ラマ教徒の聖地にもなっている。
・霏霏 雪がしんしんと降っているさま。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
・長嘆息 長いためいき。
・遠行 遠征。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
・怫郁 憂いに沈んで心のふさがるさま。
・東帰 故郷に帰るのをさす。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
・水 漳水のこと考える。大行山脈から東流する主要な河川である。水深が深くて渡れない河川である。
苦寒行
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍! 袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。
『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文) #3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
(下し文) #3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。
(現代語訳)
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
(訳注) #3
・苦寒行 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
・宿棲 旅籠だけでなく、下男などが家財道具を持参しているのでかなりの人数が眠れる場所ということ。
行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
・斧氷 斧で氷をわること。
・糜 おかゆ。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
・東山詩 『詩経』豳風東山篇、周公東征し三年にして帰り、士を慰労したのをたたえて、時の大夫が作ったのだと伝える。
・悠悠 『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。 青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
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